牧師の証し リベラルから福音派へ

      2018/10/26

0. 変わらなかった世界観

学生時代の自転車旅行のさなか、わたしは、創造主の存在を体験しました。

その後、教会に通うようになり、あるとき、イエス・キリストは実在したのだと実感して、洗礼を受け、神学校へと進みました。

イエス・キリストは、本当にいたんだ、と実感したとき、なら、ついていくしかないと、ただ、強く心に思ったのです。

しかし、救いとは何かもあやふやで、進化論に基づく世界観も変わらないままでした。それがリベラル派の実情だと思います。

神学校で悟ったのは、一つ、人それぞれ言うことが違う、ということだけでした。

なら、わたしは、自分が正しいと信じることを語っていくしかない。

間違えたなら、神様が正してくれるだろう、という根拠のない信頼だけがありました。

 

その頃、正しいことをすることが、信仰の証しになっていたように思います。

様々な運動や活動に参加しましたが、むしろ、組織内部にある様々な矛盾が、どうしようもなく目について仕方がありませんでした。

今思えば、最大の矛盾は、自分自身の中にあったのだと思いますが…。

1. 霊的体験に翻弄される

妻の流産、ダウン症の子の出産、入院という中で、以前にはなかった奇妙な感覚を覚えるようになります。世間一般でいうところの「霊的な感覚」です。

リベラルでは無視されている現象で、周囲には情報も皆無です。

この頃に飛びついたのが、当時テレビなどでも取り上げられていた、スピリチュアル(精神世界)と呼ばれるものでした。

どっぷりはまりましたが、事態は好転するどころか、むしろ悪化するばかりでした。

リベラル派の中で、わたしのようにスピリチュアル系にはまる人は、少なくないと思います…。

2. 聖霊派のクリスチャンと出会う

そんな中、同地区にいた牧師を通して、聖霊派(カリスマ派)のクリスチャンの方々と出会います。

そこでの交わりを通して、わたしは、体験的に生きて働かれる聖霊の存在を知ったのでした。聖霊派の人々の中で、「聖霊体験」と呼ばれているものです。

しかし、体験は一時的なもので長続きしません。また、それが伝道に結びつくかというと、なかなか難しく、次第に壁を感じるようにもなっていました。

3. 創造論を知る

その頃に知ったのが創造論です。

天地創造や大洪水の出来事を、論理的、科学的に説明する内容は、説得力に富み、進化論では空白のままだった様々な疑問にも答えをくれるものでした。

日本で出版されている関連本は、ほぼ読み尽くしたと思います。

そんなある日、私たち人間は確かに、大洪水の爪痕の上で生かされているんだ、と、肌で感じたのです。間近にそびえる日高山脈を仰ぎ見ながらのことでした。

「はじめに神は天地を創造された。」 創世記一章が、そのまま心にストンと落ちました。

4. 聖書を聖書から学ぶ

それからしばらくしてのことです。

聖書を読まなければ、という思いに駆られるようになりました。

時を同じくして、久しく教会を離れていた妻の母が、あるサイトを通して、聖書を学び始めていました。

軽い気持ちで聞いたメッセージに衝撃を受けました。聖書から聖書を解き明かす、というのは、こんなに深いことなのかと思い知らされたのです。

これまで一体何をしていたのか、こんなわたしが牧師など続けていられない、と悔い改めて、一から聖書を学び始めました。

そのサイトでは、創世記から黙示録まで、聖書全巻を、1章1節ずつ、解き明かしていました。半年かけて、全巻の、約10年分のメッセージを聴き通しました。とにかく必死で夢中でした。

5.ヘブル的視点と出会う

妻も一緒に、聖書の学び直しを始めていたのですが、ある時、彼女が、パン種のたとえ(マタイ13:33)につまずきました。

前述のサイトで、律法によれば、パン種は罪の象徴だと学びました。

しかし、彼女がこれまで聞いてきた様々な牧師の説教を振り返った時に、このイエスのたとえでは、よい意味で解釈されて話されていた。どうして、罪の象徴であるパン種がよい意味で語られるのか、納得いかない、と言うのです。

なぜ、そうなっているか、という、そもそもの原因を彼女は知りたかったのです。

要領を得ない私の説明に満足しなかった妻が、調べまくった末にたどり着いたのが、中川健一氏のメッセージでした。

妻から急かされて聴いたわたしも、そのメッセージを聴いて、目からウロコの体験をしました。

“パン種は、旧約でも新約でも罪の象徴である。イエスも、たとえ話を聞いていた人々も当然そう理解していた。パン種のたとえが表しているのは、教会に偽りの教え(パン種)が入り込み、大きく膨らむ、という、教会時代の教会への警告だ“ という説明でした。

ところが、教会が異邦人中心になり、元来のヘブル的(ユダヤ的)背景を失ってしまったところから、元来の文脈を大きく外れた解釈が出て来てしまったのです。

パン種のたとえがよい意味で話されるという状況そのものが、イエスが警告された、偽りの教えが教会に広まる、という現状を表しているのだと分かりました。

 

以来、私も妻も、中川氏のメッセージを聴きまくり、同じくヘブル的視点で聖書を学ぶ人々と出会いました。

聖書の歴史的、地理的、文化的背景を押さえ、本来の文脈から聖書を読む。それがヘブル的視点です。

文脈に従い、著者の意図に基づいて聖書を読んでいく。当たり前の読み方ですが。しかし、それが、はるか以前に教会から失われてしまったのだと知りました。

6.新しい一歩を踏み出す

私のメッセージもがらりと変わり、聖書を1章1節ずつ解き明かす、講解説教を行うようになりました。

急激な私の変化に、周囲の戸惑いも大きなものだっただろうと思います。典型的なリベラルの伝統に立つ教会にいましたから、互いの溝は広がって行くばかりで、ついには、その違いは決定的になりました。

否応なく、新たな歩みを始めることとなりました。後ろ盾となる組織もなく、資金も計画もなく、場所すら定かではありませんでしたが、一つ、一つ、驚くようなあり方で道が拓かれてきました。

価値観が世の中一般と何も変わらないリベラルから、聖書全てを神の言葉と信じる福音派、さらにその中でも、おそらく最も厳密に字義通りに聖書を読むグループへと、大きく変えられて、今があります。

不敬虔な者を、忍耐強く導いてくださった主に、感謝して。

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