十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:聖書の教える救いって? 

2017/12/22
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:教会で言う、「救い」って、そもそもどういう意味ですか? 世間一般で「救われた」というのと、違うような気もするのですが、よく分かりません。

1.現実的な問題の解決としての「救い」

一般的に、「救われた」と言う時には、何かの問題が解決した、とか、慰められた、とか、そんな意味で使われますよね。

聖書の救いにも、こういった、個人的な問題が解決される、という意味での救いが含まれます。

経済的な問題が解決されたとか。病気が癒されたとか、現実的な形での救いですね。

2. 根源的な、「神の怒りからの救い」

聖書が何よりも重要視しているのは、「根源的な意味での救い」です。「永遠の命を得る」とか、「魂が救われる」と言ったりします。

何から救われるか、というと、「神の怒り」から救われる。解放されるということです。

天地を造られ、無条件に人を愛される神は、悪を放置しない正義の神でもあります。

心が裸にされて平気な人がいるでしょうか?

見られたくない、心の闇を、誰もが抱えているのではないでしょうか?

私たち人間には良心があり、「罪責感」があります。

誰もが本能的に「裁き」する「恐れ」を持っています。誰かに見られていると、どこかで感じているのです。

「悪者は追う者もないのに逃げる(箴言28:1)」 と聖書にはあります。

この、「罪責感に責め立てられている状態」、すなわち「神の怒り」からの解放が、聖書の「救い」です。

救われるとは、罪の責めを受けない状態になる、ということです。

3.「救い」は、神からの贈り物。

根源的な意味での「救い」は「神からの贈り物」、プレゼントです。

「救い」は、頑張って獲得するものではありません。神様から、一方的に与えられる恵みです。

どんなに頑張っても、人間は誰一人、神様の基準に達することはできません。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)

キリストが、私たちの罪のために死んでくださったので、私たちの罪が赦される。つまり、「神の怒り」から解放される。

これが、すべての人に、プレゼントとして差しされている「救い」なのです。

一人一人に求められているのは、この無償のプレゼントを受け取るかどうか、ということだけです。それがつまり、「信じる」ということです。

神様が与えてくださった史上最高のプレゼント、キリスト(救い主)を覚えて祝う時、それがクリスマスなのです♪

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