十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:どの教会なら、安心して行けますか?

2022/01/22
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

まず、聞いてみよう!

どの教会がよい教会か。なかなか難しい質問です。

明らかにカルトや異端というところは別として、この教団、教派なら、とかは言い難いのです。
個々の教会の信徒や牧師にもよるところも大きいですし…。

でも、しっかりと見分けられる方法があります。
「救われるためにはどうしたらいいですか」 と聞いてみましょう。
どんな答えが、返ってくるでしょうか?

A.基本に忠実な教会の場合

①救いの原則に忠実

聖書の救いの原則に忠実な教会であれば、明確に答えてくれるはずです。

つまり、「イエスがあなたの罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、三日目によみがえられたことを信じたら、救われます。」ということです。

「人は、信仰と恵みによって救われる」、信じて救われる、という基本に忠実に立っている教会なら、安心です。

信仰とは、個人の自由意志に基づく自発的な応答ですから、無理強いをされることはありません。

たとえ、あなたにどうしても救われて欲しいという熱意は、やけどしそうなほどだとしても…^^;

②聖書を神の言葉と信じている

また、聖書をどう捕らえているかも重要です。「聖書はすべて神の霊感によって書かれた神の言葉である」と明確に答える教会なら、安心です。

聖書は神の言葉だと受け止めるところから、信仰は始まるからです。

そのような教会の牧師や信徒は、神様の前に謙遜です。

人を救えるのは、神様だけなのですから、神の前に謙遜である教会は、あなたという存在も大事にしてくれるでしょう。

 

B.オマケがくっついてくる教会の場合

① ~ねば、~なば、と、やたら言われる

福音を信じたら救われる、とは言われるし、聖書も神の言葉と信じているし。…でも、何かくっついてくる、という場合があります。

たとえば、「どれだけ献金しなければ」「熱心に奉仕しなければ」「礼拝には何があっても出なければ」、救いが失われてしまう!! などと言われると、とたんに、息苦しくなりますよね。

「〇〇しなければならない」とか、「〇〇してはならない」とか、
メッセージの中で、そんなフレーズが繰り返し出てくる教会は、要注意です。

人をコントロールしようとする力が、そこには働いているからです。

第一、自分ではできないから、信じたはずなのに、信仰の根本がねじ曲がってしまっています。

② 自分の過去とか家族のことを、しつこく聞かれる

あるいは、あなたの過去を執拗にほじくり返して、カウンセリングまがいのことをするような教会も、避けた方がよいです。

そこも、まず、救いの原則から外れています。

信じた時点で、過去のわたしは死んだ、のです。それをほじくり返そうとするのは、罪の中に逆戻りすることです。

結局、そこにも、過去を用いて、人をコントロールしようという、信仰とは異質な力が働いています。

カウンセリングを受けたいなら、専門家のところに行きましょう。

 

C.一見よさそうだけど、避けた方がよい教会…

①誰もがみんな救われている、と、普遍的救いを唱える教会

「みんな救われているんですよ」「あなたも、すでに救われているんだから、それを受け入れればいいんですよ」などと言われる教会は、やめておきましょう。

感覚的には、こっちの教会の方が間口が広くて、開放的な感じがするかもしれません。でも、時間がたつほど、失望が大きくなると思います。

そのような教会の人々というのは、聖書を、神の言葉として、純粋に信じていません。

救いの原則そのものが、あやふやになっていますから、神がどういう方なのか、聖書はどういう書物かという理解もあやふやです。

人それぞれ、聖書について言うことが全く違うことに、混乱するでしょう。

その人たちは、神を信じていないので、自分の正義感や、自分の人生哲学などで教会をやっています。

結局、自分が神様になってしまっているのです。

そのような教会は、世の中と本質的に何も変わらないどころか、もっとひどかったりします。

世の中で地位や権力のある人が、そのまま教会でも力を振るっていたり。平和とか人権とか、言っていることとは裏腹に、教会自体が、非常に排他的で支配的ということも、ままあります。

代々の信徒だとか、どこそこの社長とか、校長とか議員だとか、世の肩書きをそのまま教会に持ち込んでいる、オレ様な人がいて、教会を牛耳っている、なんて場合も多いですね…。

“世俗的な教会というのは、実は世俗以上にひどい”、ということを覚えておきましょう。

②ある政治的立場や考えに賛同を求められる教会

中には、特定の政治的信条や活動に賛同することを求められて、それをやれていない人や、反対の立場の人を厳しく(あるいは遠回しに)非難する。そんな教会もあります。これも筋違いですね。

信仰と政治は別なものです。なぜなら、神の意志を完全に反映させる政治的組織など、地上には存在しないからです。

どんな政治的な信条を持つかということは、信仰ではなく、信仰の適応の問題です。持つべき信仰は一つですが、それを現実の生活にどう適応させるかは、一人一人が決めることです。

もし、政治活動をしたいのなら、最初から政治団体に参加した方がいいですし、社会奉仕や、平和活動に参加したいのなら、NPOなどの団体に行けばいいんですよね。

 

☆結論☆ 聖書の救いの原則に、どこまでも忠実な教会が、安心して通えるよい教会です。

 

【関連動画】
Q:「罪」についての理解の違い 一般社会と クリスチャンの リベラルと 福音派と

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