十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

Q:信じたら、何かいいことありますか?

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

Q:クリスチャンになって、なにかいいことありますか? 不真面目な自分には、むしろ神様の罰の方が心配で…。

1. いろんなクリスチャンがいますが…

福音を信じてクリスチャンとなった。その後の歩みは、人によって様々です。

過去の傷が癒やされた、家族や職場の問題が解決された、という人もいれば、重い病気になったとか、ひどい災難に巻き込まれたという人もいます。

信じたとたん、会社が倒産し、家族の問題が噴出し、重病を患った、なんて話も聞いたことがあります。

クリスチャンになったから、家内安全、商売繁盛、平穏無事に人生を送れるなんて保証は残念ながらありません。

いいこともあれば、悪いこともある。

むしろ、クリスチャンになってからの人生の方が波瀾万丈だった、なんて人の方が多いかもしれません。

聖書に描かれた人々は、まさにそうです。神を信頼して一歩踏み出したときから、激動の人生を送っていった、そんな人ばかりだと言えるほどです。

主イエスから、試練を予告された使徒たちは、ヨハネ一人を除いて、ことごとく殉教の死を遂げています。

むしろ、確実に言えるのは、信じた後には、試練がある、ということです。

2. 神さまの約束は変わりません!!

クリスチャンになってからも、やっぱり、失敗したり、罪を犯すのが私たちです。

罪を犯したのに、悔い改めないで放置していたりすると、神様からの教育的指導が入ることもあります。

でもそれは、神様の愛情のしるしです。親が子を叱るのは、子どもの成長を願い、愛しているからですよね?

 

信じてクリスチャンになった後でも、人は罪を犯してしまう。

神様は、そんなことは最初から織り込み済みで、対策の仕方も教えてくださっています。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。Ⅰヨハネ1:9 」

霊的119番なんて呼ばれる聖句です。

罪を犯した時には、神様の前に告白して、悔い改めればいいということです。

 

何より大事なのは、神様は約束を絶対に守るということです。

福音を信じた者には、永遠の命が与えられています。

救いは、二度と取り去られることがない。だからこその、永遠なのです。

この約束があるからこそ、クリスチャンは、安心して、素直に神様に向き合い、歩んでいくことができるのです。

その課程で、自ずと、少しずつ変えられ、成長させられていくのです。

3. 聖書を学んで、安心を得る!!

アスリートが過酷な訓練に耐えられるのは、トレーナーへの信頼あってこそです。

クリスチャンが試練に向き合うことができるのは、神様が、根っこの部分で支え、永遠の祝福を約束されているという安心感があるからです。

安心感を高めるために、必要なのが聖書を学ぶことです。

 

聖書の中心は、神様が人と結ばれた約束です。

人間の側の様々な失敗や過ちにも関わらず、神様の約束は破られることなく、着実に実現されてきました。

この理解が深まることで、神への信頼が強められ、平安が増していくのです。

4. 万事が益とされていきます!!

じゃあ、福音を信じても、この世的には、何もいいことはないのか? というと、決してそうではありません。

信じることで与えられる、大きな益があります。

それは、“すべてのことに意味がある”と知らされることです。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。ローマ8:28」

これを体験的に学ばされてきたのが、イスラエルの真の信仰者たちです。

度を超した不信仰のためにイスラエルは神の厳しい懲らしめを受け、約束の地を追われ、各地へ散らされました。

しかし、主イエスの弟子たちによって福音宣教がなされていくときには、離散したユダヤ人が各地に築いていた会堂が、大きな役割を果たしたのです。

ユダヤ人の会堂に集い、聖書を学んでいた異邦人の存在も、福音が一気に広がる大きなきっかけとなりました。

この手紙を記したパウロは、教会の迫害者であり、厳格な律法主義者でした。

しかし、主イエスを信じて悔い改めた瞬間から、その豊かな聖書知識が用いられました。

パウロは、最初の神学者と呼ばれるように、教理的な土台を据える重要な役割を果たしたのです。

 

ユダヤ人はメシアを拒んだために、大変な苦難を味わわされ続けていますが、そのために福音は私たち異邦人に広がり、多くの人々が救われてきました。

世の終わり、大患難の中でユダヤ人が民族的に悔い改め、主イエスが再臨されると聖書は預言します。

その時、彼らは、筆舌に尽くしがたい苦難にも大きな意味があったことを知り、救われたすべての異邦人と共に、主を讃えることでしょう。

聖書は、人類の罪によって破壊されたこの世界が、完全に回復する時が来ることを明確に約束しています。

主は、人が罪を犯すことをもご存じで、御子キリストによる救いをあらかじめ計画しておられました。

神のはるかなご計画の全貌を見上げる時に、私たちは、万事が益とされるという、聖書の真理を思い知らされるのです。

クリスチャンとして歩み始めるときに、過去の過ちも今の失敗も、すべてのことに、新しい意味が与えられていきます。

同時に、どんな状況の中に置かれたとしても揺るがない平安が、信じる者の内に築かれていきます。

万事が益とされ、世界のすべてが回復される。神が極めてよかったとされた、その世界に、住まわせられる時が必ず来る。

その途上にある恵みを、日々の中で、ぜひ味わっていただきたいと願います。

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