Q:カルト化した教会の特徴って?
目次
Q:今さらな質問ですみません。カルトって言いますけど、
どういうものをカルトって呼ぶんでしょう? 特徴を教えてください!!
一般的なカルトの特徴を押さえつつ、特に、カルト化したキリスト教会の場合の具体例を挙げて説明しますね。
特徴1. 権威主義的な指導者
カルト化した教会には必ず、権威主義的な指導者がいます。
この指導者は、「神が立てられた特別な器」であり、「神の言葉を取り次いでいる」のだから、従わねばならないなどと言うのです。
このような指導者は、信徒を信頼せず、私生活にまで介入します。交際相手まで決めてしまったりするのです。
指導者に逆らうことは、神に逆らうことになり、権威づけのために従順を求める聖書箇所が引用されます。
こうして指導者は神と一体化し、信徒は、キリストが喜ぶことではなく、指導者が喜ぶことを考えるようになります。
不従順な信徒は、不信仰だ、高ぶっていると罪責感を負わされ、悪霊呼ばわりされて呪われることすらあります。
特徴2. マインドコントロール的手法
指導者の強い支配下で、信徒は自分では何も決められなくなっていきます。
疑問を感じることがあっても、強い罪悪感を抱いて打ち消してしまうのです。
マインドコントロール的な関係とは、支配的な指導者と依存的な信徒によって造り上げられるものです。
指導者は、自分には特別な霊的体験や、啓示、知恵、権威、知識があると告げ、絶対的な服従を信徒に求めます。
また、信徒を依存的にさせるために、神の権威を強調し、情報を制限し、恐怖を植え付けます。
不利な情報は禁じられます。多くの場合、お金の流れに関する情報は、一般の信徒は知らなくてよいことだとされます。
指導者の私生活に秘密の部分が多くある一方、説明義務はありません。
指導者は特別だと、全てが不問に付され、誰もそれを問いもしないのです。
特徴3. 極端な排他性
カルト化した教会は、信徒が他の教会の信徒と交流することを好みません。
カルト化が進むほど制限は厳しくなり、交際相手や結婚相手すら、教会内に限定するということも生じます。
さらに、その教会を去った人には、「恩知らず」「不信仰者」「裏切り者」「サタン」などとレッテルが貼られ、非難されます。
離れようとすれば、「あなたのところに神はおられない」「悪霊に取り憑かれる」「地獄に落ちる」などと脅されます。
一方で、自分たちこそ、本物の、愛にあふれる教会であり、他にはない、ここだけが真実だと、繰り返し強調されます。
特徴4. 実際に被害が出ている
実際の被害が生じているのが、カルトです。1~3の特徴を備えたカルト教会は、被害を生じているでしょう。
その被害とは、人格崩壊、人権無視、肉体的・精神的健康への悪影響、セクハラ等の様々なハラスメント、虐待、家庭崩壊、経済的損害、人生計画への狂いなど、様々なものが挙げられます。
しかし、ほぼ例外なく、カルト教会の指導者は、信徒への被害について、謝罪も弁償もしません。
そのため、信徒が最終的に法的手続をとらざるを得なくなることも、往々にしてあります。
信徒を立ち上がらせるのは、放置すれば被害者が増え続ける現実です。
法的手続きに対して、世に訴えてはならない(Ⅰコリ6:1)という聖書箇所を挙げて非難する意見があります。
しかし、こう言っているパウロ自身、ローマ皇帝に直訴しています。
パウロは、エルサレムの大祭司や律法学者たち、偽りの宗教指導者たちの告訴に対し、ローマ法廷での正しい裁判を求めて上訴したのでした。
キリストの権威の下から逸脱しているカルト指導者を、必要ならば法的に訴えることは、聖書的に肯定できます。
二次被害を防ぐために!!
カルト化した教会の被害が拡大してしまう要因の一つが、所属教団や周囲の教会、指導者が、問題を軽んじてしまうということにあります。
問題解決を任された者が、喧嘩両成敗というような態度で、加害者と被害者に「公平」に接し、たいした問題ではないと片付けてしまう。そのようなケースが少なくないのです。
仲介者が、被害者に沈黙を強いたという悪質なケースもあります。
勇気を出して周囲に訴えたのに、理解されず、むしろ、自分が悪者にされてしまう。どれほどの傷を、当人は負わされてしまうことでしょうか。
カルト指導者の多くは、外面的には体裁も良く、むしろ、信頼や評判を得ていることが多いのです。
カルト指導者には、平気で嘘をつく二面性があるのですから、聞き取りは事実確認を中心に丁寧に行い、それに対する判断は、慎重にするべきです。
主イエスは、偽預言者を実で見分けなさいと告げられています(マタ7:16)。
具体的な被害が出ているなら、言葉に惑わされず、事実を見極めるべきです。
判断基準はまず、被害者にある。それが、原則です。
二次被害を防ぐためにも、まずは被害者に寄り添い、その話に真摯に耳を傾ける必要があります。
判断においては、利害関係の外にいる第三者による検証が求められます。
カルト問題の専門家に助けを求めることは、非常に有効でしょう。
健全な教会とは?
カルトの特徴を逆にすれば、あるべき地域教会の姿が浮かび上がります。
①教会の権威は聖書にあり、神ご自身にあります。
指導者は、聖書を正しく説き明かす限りにおいて、神の権威を委ねられているに過ぎません。
②聖書の求める信仰は、自発的な応答に基づくものでなければ無意味です。
信仰は、マインドコントロールとは対極にあることを覚えましょう。
③福音を土台としたすべての教会は、一つのキリストの体に属しています。
誰も、ここだけが唯一正しい地域教会だ、などとは言えないのです。
他の教会の人々との交わりを持っていることは、とても大切なことだと思います。
【参考資料】
「教会がカルト化するとき」 ウィリアム・ウッド いのちのことば社
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Comment
プロテスタントの教会は読む人ひとりひとりが、人生感や社会経験、思考、等により聖書の解釈が違っているのも事実です、だから、牧師は謙虚になって主イエスのみこころを語り、信徒が自分で適応できるように説教を組み立てるのが本筋ではないでしょうか、それを牧師が唯我独尊で説教を組み立て、信徒が無批判に受けいれてしまうのではないでしょうか、礼拝が終わった後、自宅でじっくり」、牧師の言われたことが正しいのか、祈り、聖霊に導かれるのも必要と思います。
コメントありがとうございます。
唯我独尊の牧師と無批判の信徒という構造では、簡単にカルト化しかねないですよね…。
使徒一人一人が、自分で聖書を読み、理解し、適用していけるように。
そのために教え、導いていくのが、教会の教職者の役割だと思います。
適用は、一人一人違いますが、真の著者である神の意図は一つ。
そこに一致して聖書を解き明かし、理解することができた時、主ご自身が働いてくださるのだと実感させられています。
裁判されたらどうされますか?どこから裁判費用はどうされますか?また敵金で出しますか?ってお話なりますよね?どうしたらカルト化ならないようにするかもお話されたら宜しいかと思います。宗教には詳しくは無いですが、専門としてる所に御相談されたら宜しいかと思います。
どうしたら、カルト化にならないようにするか。
カルト化した教会の特徴を逆に考えていただいたらいいと思います。
つまり、一人一人の自主性、自発性を尊重する。リーダーは、個々人のサポートに徹し、聖書を正しく解き明かし、聖書の読み方そのものを教える。学んだことを、どう日常に適用するかは、一人一人に委ねる。
そういうことが大切だと感じています。
具体的にカルト化した教会に直面したときには、おっしゃるとおり、専門家に相談し、サポートを受けながら進めることは、とても大切ですね。実践しています。
私は元エホバの証人です。
エホバの証人を辞めて教会に行き、私は救われました。
中川先生のディスペンセーション主義に興味を持ち、ディスペンセーション主義の教会に行きました。
そこで待っていたのは、エホバの証人と変わらない圧力感がありました。
他の教会は正しくない。
他の教会の牧師の悪口を言う。
うちは他の教会とは違い聖書通りのことをやっているんだ。
聖書主義なので、聖書に忠実なんだ。
ディスペンセーション主義が正しい!!
日曜日の礼拝は休んではいけないから子供の運動会は無理やり欠席させる。
これってエホバの証人と同じじゃないかと思い通うのを辞めると、牧師からメールであなたは通う気が無いのですか!!と言われてしまいました。
精神病を患っている私にはこのことがとても恐怖でたまりませんでした。
カルトで検索してみると、このページにたどりつきました。
このページで言われていることと前に通っていた教会が一致していました。
やっとエホバの証人のカルトから抜け出せたと思ったのですが、またキリスト教のカルトにはまってしまいもう何が本当の救いなのか分からなくなっていました。
ディスペンセーション主義?が正しいのか契約神学が正しいのか?
いやこの教会が語るディスペンセーション主義が間違っているのか?
本当に理解に苦しみました。
因みにこの教会の教祖的な方がおられ、本も出版されています。
教祖的な方はお亡くなりになられ、他の方が引き継がれています。
因みにその方と中川先生と親交があるようです。
同じディスペンセーション主義だから親交があるのかと思いました。
そう考えると、中川先生もそのカルト的な教会と交流を持たれているのかと考えてしまうと何が正しいのか分からなくなってしまいます。
何が正しいのでしょうか?
聖書が正しいのは分かりますが、この牧師は聖書を使って自分の正当性を言います。
まるでエホバの証人の長老みたいでした。
コメントありがとうございます。少しでもお役に立てたなら、嬉しいです。
聖書的に正しい神学は、健全な教会形成のための大切な基礎です。
しかし、神学的に正しいから、健全な教会であるとは、言い切れません。
この教会だけが正しい、というのは、カルトやカルト的教会の常套句です。
聖書的に理解するなら、唯一正しい地上の組織など、存在しません。
地上における神の国であったイスラエルにおいて、真の信仰者はいつも少数でした。
今の時代の地上における神の国は教会ですが、教会も同様です。
教会には、誕生間もなく、アナニアやサッピラのような偽善者が現れています。
パウロの手紙を読んでも、偽の教えを説く者や、倫理的罪を犯す者など、教会内に問題の絶えなかったことがあります。
律法主義者や、グノーシスといった異端的教えとの戦いは、初代教会の大きな課題の一つでした。
主イエスが警告されたように、地上の教会には、常に偽りの教えが入り込み、その内には、真の信仰者と偽の信者が混ざりあっているのです。
この教会、教団だから、このグループだから、絶対正しい、なんてことはありません。
私は、聖書フォーラムを、正しい聖書理解に基づく、理想的な教会の群れであると理解していますが、だからと言って、間違いがないとか、問題がないとは思いません。
常に突きつけられる課題はあり、対処すべき問題もあるのです。
そのような視点をもって、一人一人が、聖書理解を深め、正しく判断する力を身につけていくことが必要だと思います。
理想的な群れがあるとすれば、一人一人に自立と成長を促し、その上で共生していく。そういう視点と働きを持ったところでしょう。
中川先生と出会ってからの、この8年ほどを振り返って、中川先生自身が、公の場所で、肯定的にせよ、否定的にせよ、どこかの教会や教団のことを具体的に名前を挙げて話されているのを聞いたことはありません。
個々の地域教会との関わりについては、とても慎重な姿勢をとられていると思います。
ご自身が、カルト教会の問題に、関わる経験をされてこられたことが、背景にあるのかな、と私は理解しています。
私自身、とあるカルト的教会を巡る問題に巻き込まれる中で身にしみたのですが、その教会の実情というのは、なかなか外からは見えてこないものです。
これは、中川先生が、カルト教会との関わりからの体験談として話されていましたが、内側では、非常に支配的で暴力的な牧師が、外では、ここまで謙遜な牧師はいないと、多くの人に思われていたとのことでした。
内部の実情を知って、本当に驚かれたそうです。
今、通われている教会が、カルト的で、非常に問題がある教会であるということであれば、そこを離れて、別なところを探されてはいかがでしょうか?
私が、個人的に責任を負える立場でおすすめできるのは、各地にある聖書フォーラムです。
お近くの聖書フォーラムに、ぜひ一度、顔を出してみてください。
東京、大阪の定例会に一度出席されてみるのもよろしいかと思います。
喜びもって集い、学びあい、交わることのできる、そのような地域教会と出会うことができますように。お祈りします。
メッセージありがとうございます。
返信が遅れてしまい申し訳ないです。
実は私、聖書フォーラムにも行ったことがございます。
地域を言ってしまうとどの人かが特定されてしまうので申しませんが・・・
そこでよく言われていたのが、ここは本物だということです。
聖書フォーラムの代表にどうすれば救われますかと聞いたところ、ヘブル的に聖書を読んだ人が救われますと言っていました。
福音の3要素じゃないの?と思ってしまい、それ以来聖書フォーラムに行くのを辞めてしまいました。
聖書フォーラムって中川先生のビデオを見てその感想を言うだけのところのような気がします。
私が行ったところは本当に内向きのただの集まりのようにしか見えませんでした。
自宅を提供してくださっている方はとても親切な方でしたが・・・
拝読させていただいたところ、こちらの教会では陰謀論を否定し二元論的に考えないように推奨していらっしゃるように思います。それで質問なのですが、善と悪との戦いとか陰謀論の先駆者みたいなビデオを牧師の書斎からと題してこの半年どんどん投稿していらっしゃる中川健一先生のバナーがこのサイトに貼られているのはどうしてなのでしょうか。文句を言っているわけではなく、不思議だなと思いましたので質問させていただきました。
コメントありがとうございます。
私は、神学的には、中川健一先生とは、一致した立場です。信仰者としては、そこが一番重要です。
一方、この現実の世界をどう理解するか、政治的にどういう立場に立つか。適用においては、神学的立場が同じクリスチャンでもそれぞれ異なってくるでしょう。
聖書の教える真理と完全に合致した政治的立場などありえないからです。
動画で中川健一先生がアメリカ大統領選について話されているすべてのことに、そのまま同意している訳ではありません。
英語に疎い私には確認しようのないことも多々あります。
しかし、大枠では、賛同しています。中川先生は、確認される情報に絞って、非常に冷静に取り扱っておられると認識しています。
陰謀論とひとくくりに片付けられることの中には、真偽がいり混ざっていると思います。
たとえば、北朝鮮による拉致のように、陰謀論のように言われながら、事実であったという事例も現実にはあります。
アメリカ大統領選の不正疑惑については、各地で公聴会が開かれ、選挙に関する様々な不正について、多くの市民が実名で証言しています。
陰謀論では片付けられない、非常に重い事実があります。ナバロ弁護士により、それをまとめた詳細なレポートも挙げられています。
これらは、ネット上の陰謀ではなく、公にされていることです。
今後も様々な側面から、法廷闘争が続いていくでしょうから、推移を見守りたいと思います。
聖書は、唯一の全知全能の神がすべてを支配されるという点で紛れもなく一元論ですが、同時に、この地上においては善と悪の戦いも存在します。ヨハネ福音書の1章にも記されている通りです。
ただし、この勝敗の行方は、最初から明らかです。
地上の政治の行方は分かりません。
最後には、主がご計画通りにすべてを完遂されることは、聖書に明確に記されています。中川先生も繰り返し話されています。
小渕沢オリーブのメッセを聞いてアクセス。参考までにブログを読み、カルトの問題に目が止まる。知人が関わってしまった所と酷似していてそれ関連では無いかと思いつつも、、、???よく知らない事を云々は控えたいですが、全不動産や現金を取られ出る事もできなかったが、有志たちで迎えに行った。深い傷と喪失感に悩まされている姿は痛ましかった。が、一方でハーベストで黙示録を学び 白い御座の裁きに期待を寄せている。そこのリーダーは歳になり歯周病で悩まされていたが、その原因さえ信者が自立と隣人愛の欠如による悩みが原因だと言っていたが、自分だけ美味しいものを食べた結果だと思う。身の程知らずすぎる。集団生活が闇過ぎて怖い。
カルトに陥る教会には、判で押したような共通点がありますね…。苦しみを経たその方の心が、真理によって解放されますように。
指導者の責任は重いものです。その牧師が悔い改めて、真摯に、自ら蒔いた種の刈り取りを、なによりまず、この世においてすることができますように。お祈りします。
カルト化した教会でハラスメントを受けた伝道師が、教団にハラスメント相談と移動を相談したら、その教会を調べることもなく逆に教会の問題のスケープゴートにされているのを知っています。教団ってそんな話が珍しいわけでもないのも聞き、正直腐っていると思っています。こんな有様なら、神様は大好きですが、キリスト教をやめたいです。
残念なことですね。私自身もそんなケースをいろいろ見聞きしてきました。教団の規模や教会の大小に関わらず、同様の問題があります。
聖書を学び直す中で分かったのは、教会は最初から問題だらけだったし、イエス様ご自身が、そうなることを前もって予告されていたということです。
「イエス・キリストが私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、復活された」 この福音を信じた瞬間に救われているわけですが、各々の中には、変わらぬ罪の問題があって、罪人が集う教会に問題が絶えないのは、当然のことなのだと教えられます。
一人一人に求められるのは、人間の罪の現実を直視しつつ、自分自身の課題に向き合っていくことなのでしょう。それができていなかったら、教会内に起こった問題に取り組んでいくことはできないと思います。
結局のところ、混沌とした中で問われるのは、自分自身の信仰であり、神様との関係なのだと痛感させられています。
関連記事です。「どうして教会は問題だらけなの?」
https://shikaoichurch.com/2019/09/07/church-problems/
教会のカルト化問題について強い関心があったので、追って関連記事に目を通しました。
私はそもそもカルト化問題を取り上げる以前にカルト化しやすい教会はどの教会にもその要素はあると言いたいのです。
福音伝道の仕方方法に対する疑心暗鬼。最初は甘い蜜のような言葉で誰でも歓迎します!とご親切なまでに例えばメディアを通して、美辞麗句な言葉、態度、御言葉を語るのですが、教会に通い始めクリスチャンになったら一転徐々に徐々にその本性が現れてくるのです。その他様々、カルト化要素満載な状況は少なくとも私の地域の教会には多々見られました。
これを巧妙な詐欺師ペテン師と言わずして何と表現したら良いのでしょうか?だから、福音伝道の仕方からカルト化する教会の要素は含まれている、と言いたいのです。
そして、
また、この事さえも悪魔の仕業と言うのでしょうか?
そうして、都合が悪くなると何でも悪魔のせいにすれば、それで良いのでしょうか?
決してそうではないはずです。
また、<教会のカルト化問題>に関連して、
教会は『罪人の集まり』である事はもちろん否定出来ない事実ではありますが、その一方では、『良心的で優しい信者』も実際にはいる訳です。(教会のカルト化問題の関連記事からの説明の引用。)
そのようにして、前者『罪人の集まり』と後者『良心的で優しい信者がいます。』とのつじつまが合わない矛盾した話になっている訳です。
『罪人の集まり』というのは究極には間違えではありませんが、その言葉でどの牧師たちクリスチャンはおしまいにしてしまいの傾向が強く見られます。
それでおしまいにしてはならないはずですし、『罪人の集まり』とはあくまでも未信者向けの教え、話ではないのでしょうか?
クリスチャンには決して『罪人の集まり』『私は罪人だから』でおしまいにしてはいけないと思っています。それは単なる自分に対して言い訳や自己憐憫の類に過ぎないのではと思うからです。
真のクリスチャンならば、それに必要な事は、自分は『罪人だから』でおしまいにせず、相手に過ちや罪を犯したなら相手にしっかりとまず謝罪する事(聖書にはもちろんそのような教えが記されています。)、そして、しっかり反省して(第二コリント13:5)悔い改める事ですね。
このような事を少なくともかろんじている教会はいつだってカルト化する教会になる要素ははらんでいると思っていますし、認識する必要があるのではないかと思っています。
また、カルト化教会によって、
二次被害が出ないようにする事はもちろんではありますが、
各々の教会、そして指導者たちがそれぞれ<律法学者パリサイ人信仰>になっていないか、また、信徒たちがそのような信仰になっていないかを吟味し、またケアやフォロー、説教課題として取り上げることは必要で欠かせないと私は考えていますし、そのような認識を持つ事がカルト化及び被害を生み出さない始まりではないかなと考えています。
そうでないといつだって容易にカルト化しやすい教会になると思っています。
コメントありがとうございます。
「自分は『罪人だから』でおしまいにせず、相手に過ちや罪を犯したなら相手にしっかりとまず謝罪する」
多くの教会で、この点がうやむやにされがちで、そこに、カルトを生む土壌があるのではないか、というご指摘は、私もその通りだと思います。
「良心的で優しい信徒」という表現は、「」付きで記すべきものですね。
言い換えれば、聖書の義をもって悪に対峙することができない、とも言えます。
私自身も、カルトの問題を掘り下げていく中で、教会文化そのものが抱える課題を強く意識させられていきました。
支配的指導者を支えているのは、依存的な信者です。両者は共依存にあるコインの両面と言えます。
一人一人が、しっかり聖書を学び、聖書から判断できる力を養うこと、依存を脱し、成熟した信仰者として成長していくことが、すべての信者に求められていると思います。
そうして育まれ、成熟した信者の中から、群れのリーダーが自ずと立てられていく。それが本来的な教会形成のありようなのでしょう。
愛ばかりを強調する、父性に欠けた日本の教会文化の問題点も、いくつか記事にしています。
カルト問題のまとめの記事の最後に、付記として記しました。
こちらの記事の最後のところです。ご覧ください。
★カルト問題のまとめ カルト化した教会に直面したときに★
https://shikaoichurch.com/2020/01/23/summary-of-cult-church/
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