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何が違う? サウル王とイエスの弟子ユダ 破滅的な最期と行き先

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. サウルとユダの共通点

礼拝メッセージでサウル王は救われていると確信すると語ったところ(2021/7/25)、イエスの弟子のユダとはどう違うのか、という質問をいただきました。

確かに、両者には共通する点も多くあるように見えます。

サウル主も弟子ユダも、主に仕える重要な働きを担っていたにも関わらず、主に背き続け、最後は自殺しました。

しかし、それ以上に決定的な違いが両者の間にあるようにも感じます。

 

2. サウルの場合

神がサウルを選び、主の召命に応えてサウルは王となりました。

そもそも、サウル王の誕生は、人間の王を求めたイスラエルの罪の結果であり、全イスラエルも責任を負っています。

サウルは、王となった当初は、主に従い、大きな戦果もあげています。

 

主がサウルに聖霊を降らせ、取り去り、また悪霊を送られました。

よみから現れたサムエルは“私と一緒になるだろう”とサウルに告げました。

悲惨な死を遂げ、ペリシテに陵辱されたサウルの遺体は取り戻され、敬意を持って葬られました。そして、王となるダビデが哀歌をささげました。

聖書ではヨシヤ王やイスラエルに対して哀歌が歌われています。神に見捨てられた者に哀歌はささげられません。

今にいたるまで、この哀歌は歌い継がれ、ベニヤミンの子孫にもサウルという名がつけられています。使徒パウロのヘブル名が、サウル(サウロ)です。

 

サウルの死は、自ら犯した罪の厳しい刈り取りでしたが、それでもなお、主の憐れみが注がれているのを感じます。

 

3. ユダの場合

12弟子の一人であったユダですが、どのように召命されたかは分かりません。

ヨハネ福音書では、イエスの発言にあきれて多くの弟子が去った結果として、12人の選出を記していますが、その場面から、ユダは裏切り者だった(ヨハネ6:71)と記されています。

イエスは、この時点で弟子の一人の裏切りを指摘し、悪魔と呼んでいるのです。ユダの本質を知りながら、その上で12人の一人に選んだということです。

 

ずっと裏切り者だったユダは、そもそも主イエスを信頼していません。

イエスがメシアであると頭では理解していても、個人的な信頼は寄せていなかった。つまり、イエスを信じていなかったということです。

最後の晩餐の席上、イエスは、ユダにだけ分かるように、裏切りへの最後の警告を発しました。しかし、ユダはイエスを売り渡しに出て行ったのです。

銀貨30枚でメシアを売り、口づけをもってメシアを捕らえさせたユダ。

あまりの罪の重さに気づかされ、後悔したユダは、贖罪の儀式によって罪を帳消しにしようとします。しかし、祭司たちに拒まれると、絶望して自らの命を絶ったのでした。

 

4. 自殺と言っても本質が違う

サウルもユダも自殺したと、ひとくくりにするのは乱暴すぎると思います。

サウルの場合、矢で討たれ、すでに致命傷を負っていました。

無割礼のペリシテ人に蹂躙される前に剣で自らを刺し貫いたのは、イスラエルの王のしての尊厳を保つためだったのでしょう。

 

一方のユダの場合、これは本当に言い訳の余地のない破滅的な死です。

人間の祭司によって贖罪の儀式を拒まれたユダですが、真実の大祭司であるイエスの前に悔い改めれば、その罪は赦されました。

12人の一人だったユダは、イエスこそイスラエルの贖い主であることを知っていたにも関わらず、最後まで明確に悔い改めを拒み通したのです。

 

5. 死後の扱いの違い

聖書は、どのように葬られたかによって、死後の行き先を暗示しています。

目の前で息子たちが殺され、自らも無残な最後を遂げたサウル。その死体はペリシテに陵辱されましたが、ヤベシュ・ギルアデの人々の決死の行動によって遺体は取り替えされ、丁重に葬られました。

ダビデがささげた哀歌は後の世にまで歌い継がれていきました。

 

一方のユダの遺体は、神殿の外に捨てられ、陶器師の畑に落ちて二つに裂け、そこは、あのイエスを売り渡した銀貨30枚で買い取られて、異邦人の墓地とされました。

遺体が投げ捨てられた谷は、かつて偶像礼拝の幼児犠牲が行われた忌まわしい地です。ベン・ヒノムという谷の名が、火の池・ゲヘナの語源です。

弟子たちは、このように、ユダが悲惨な死を遂げ、12使徒から欠けたことを宣言しています(使徒1章)。

これ以降、聖書にユダの名は出てきません。他の12使徒の名が永遠に記憶されているのとは対照的です。ユダを悼む者は誰もいませんでした。

これらのことから、ユダは明らかに呪いの死を遂げていると分かります。イエスはユダを「滅びの子(ヨハネ17:12)」とまで呼んでいます。

 

6. 救いの原則を覚えよう

使徒1章で、欠けた12弟子を補充した場面以降、裏切り者ユダの名は一切書かれていません。

来るべき神の国には、悲しみも嘆きも涙もないと聖書には記されています。そこでは、滅んだ者たちの名が思い起こされることはないのでしょう。

 

クリスチャンの希望は、天にその名が記されているところにあります。

「主イエスは、私の罪のために十字架にかけられて、死んで葬られ復活された。」

この福音を信じて救われた者には、聖霊の証印が押されています。それは、永遠に神のものとされた証しです。

主が、信じた者の罪を思い出されることは二度とないのです。

 

信じて歩み始めたクリスチャンも罪を犯すことがありますが、悔い改めによって赦されます。

悔い改めを拒めば、クリスチャンも罪の刈り取りをさせられますし、肉体の死という最悪の事態を招くことすらあります。

それでも一度与えられた救いは失われることはありません。主の約束は、それほどまでに確かなものなのです。

 

聖書は明確に、すべての人の最終的な行き先を示します。

主イエスを信じて永遠の命を得るか。拒み通して永遠の滅びにいたるか。どちらか一つです。

日々悔い改めつつ、私は確かに、罪赦されて救われたのだと、救いの確信をこそ深めていきたいと強く願います。

 

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