Q:心で信じていれば、いいんですよね?

   

Q:心で信じていれば、それで十分ではないでしょうか?
大切なのは、やっぱり心ですよね!!

1.心さえあれば、という、異端の教えがあるのです!

初代教会を悩ませた、グノーシスという異端があります。その特徴は、霊と肉(肉体)をバッサリ分けて、霊は善だが、肉は悪、と言うことです。

そこから派生した、ドケチズム(!?)という異端的教えでは、キリストは、肉になったように見えただけだったのだと言います。

これらの教えが行き着く先は、肉はそもそも悪なんだから、肉が罪を犯しても、霊が信じていればいいじゃないか、信じてさえいれば、何をやったっていいじゃないか、ということです。

2.聖書では、体と心は一つです!!

肉体も、神が創られたもの、本来はよいものです。罪によって人が堕落したのは、霊肉共に堕落したのです。

霊も肉も一体だというのが聖書的価値観です。

キリストの復活も、霊肉共に復活したのです。復活したイエスは、霊ではない証拠に、魚をとって食べられました。

聖書における、究極的な天国は、物質世界と霊的世界が共に回復し、一つになることです。信者は、霊だけではなく、肉体を伴って復活するのです。

3.信じたら、行動と一致します!!!

聖書を貫く救いの原則は、救いは、信仰と恵みによる。ただ信じて救われるということです。

でもこれは、心で信じればいい、と言っているのではありません。心と体は一つです。

心で信じることは、口で告白すること、すなわち行いに現すこととはイコールです。(ロマ10:9~10)

心で信じたなら、当然、それは行いとなって現れるはずです。

ですから、ヤコブは、行いのない信仰は死んだものだと言っているのです。(ヤコブ2:26)

人はただ、福音を信じて救われます。しかし、心の中は見えません。自分自身の心すら分からなくなって、本当に自分は信じているのかと不安になるのが私たちです。

しかし、信じたことが行いとなって現れ、少しずつでも自分が変えられてきたと実感できるなら。自分は確かに、信じて救われたんだという確信を得ることができるのです。

どうしようもない自分を変えてくださるのも神様ですから、信頼して委ねて行きましょう。

自分には分からない小さな変化を教えてくれる、教会の兄弟姉妹とのつながりも大切に。

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