十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

選挙についてクリスチャンとして考える

2023/07/01
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 深まる選挙の悩ましさ

選挙の度に悩ましさが増している、そんな方は多いのではないでしょうか。

選挙は、「最悪から二番目の選択だ」なんて聞くと納得します。

 

クリスチャンは特に、ベストには程遠い選択肢しかないでしょう。

クリスチャンが少数者でしかない日本の社会にあってはなおさらです。

一人一人の適用に任されたことですから、同じ信仰に立っていたとしても、誰を、どの政党を選ぶか、ずいぶんな違いが現れてくることでしょう。

 

私自身の判断基準はクリアにあるのですが、そもそも隔たりが大きすぎて困ってしまいます。

おのずと私の選択は、消去法になります。

絶対投票しない人、党から消して、残ったところから最終的に投票先を決めています。

今回は、性の価値観、安全保障を重視しましたが、選択肢自体が本当に狭くなっているのを痛感します。

この人だけには、この党だけには投票しない、というレッドゾーンは広がるばかりで、頭を抱えています。

危機の時代には、個々の指導者たちの本質も露わにされるように感じています。

 

政治的な意見や立場を主張することは、クリスチャンにもあってしかるべきだと思います。

ただし、地域教会の指導的立場にある者が、特定の候補者や政党の支持を信徒に呼びかけることは、自重すべきだと考えます。

 

2. クリスチャンが世界を変える?

教会のリーダーや牧師たちが集って、ある候補を熱心に応援する集会を開いた、と聞きました。

驚きましたが、名を連ねている顔ぶれに納得しました。いわゆる新使徒運動(NAR)系の人々が何人も名を連ねていたからです。

NARに連なる人々が熱心に推奨しているのは、クリスチャンが世に積極的に進出し、影響力を持つこと。

その結果として、神の国が実現すると言うのです。

いろんなところで活躍するクリスチャンが増えるのは結構なことですが、それによって、神の国が実現するとなると、信仰の原則から逸脱しています。

 

聖書が突きつける現実は、人間の力では、世界どころか、自分自身すら変えられない、救えないということです。

選びの民イスラエルは、神の律法を破り続けて、滅びと離散に至りました。

メシアであるイエスが告げた山上の説教は、イスラエルに追い打ちをかける内容です。

心の中まで問われれば、一体誰が、神の前に潔癖を主張できるのか。問われれば絶望しかありません。

 

救いはただ、人類の罪のために十字架にかけられ、死を打ち破って復活された、神の子キリストのみにある。

これが、揺るがない救いの大原則です。

 

3. 介入の余地のない神の計画

主イエスが警告されたのは、教会すら、パン種・偽りの教えに侵されていくということでした。

地上の教会の拡大によって理想世界が実現されるというのも、紛れもなくパン種です。

世界の回復の希望もメシアにあります。

信じる者すべてが携挙された後、七年間の大患難が世界を襲い、生きのびたユダヤ人が民族的回心に導かれ、メシアが王として地上に再臨される。

栄光の主イエスが世界を裁き、永遠の王国と打ち立てられるというのです。

 

ここには、人間が介入する余地は全くありません。

個人の救いも世界の回復も、ただ神の力によるのであって、人にできるのは信頼することだけです。

 

4. 聖書が理想とする統治制度は?

民主主義の基本が選挙であるわけですが、民主主義は、聖書の理想とする統治体系とは対極にあります。

聖書の価値観に立つならば、罪ある人が多数決で決めるなど、愚の骨頂と言えるかもしれません。

民主主義が行き着く先は、ポピュリズムであり、独裁である。それは、歴史が証明している事実です。

 

民主主義が例外的に、比較的うまくいった事例が、かつてのアメリカでしょう。

アメリカで聖書を土台とした信仰が生きていた時代には、人類史上希に見る、安定した統治があったのだと思います。

 

聖書が理想とする統治体系は王政です。

しかし、人間による王制の結果は、悲惨なものでした。
神の民、イスラエルですら、人間の王が招いたのは惨憺たる結果でした。

そもそも、イスラエルが王を求めたとき、神は、王が民衆を搾取するが、それでもよいのかと、念押しした上で、消極的にこれを承認しています。

最初の王サウルからして失政続きでした。繁栄を極めたソロモン王すら、晩年には偶像礼拝に陥りましたし、王国は分裂し、混乱を極め、滅びに至りました。

神の民イスラエルすら、散々な結果に終わったのですから、人間による王制の結果は火を見るよりも明らかです。

真実の平和をもたらす王の王は、栄光の主イエスだけなのです。

 

5. 世との関わりで覚えておくべきこと

民主主義国家が大事にしている原則の一つが、政教分離です。

教会が政治権力と深く結びついた結果、主イエスの教えはねじ曲げられ、地上の教会も、真理から大きく逸脱してしまった。

過去の苦い歴史がら、多くの悲劇も生まれています。

政教分離は、歴史から学んだ人間の知恵だと言えます。

今の時代に、政治権力と地上の教会が結びつくのは懸念すべきことだと考えます。

 

先日、米最高裁で、中絶に関する法的判断を各州に委ねるという判決が出されました。

半分以上の州で、中絶の禁止や大幅な制限がされるだろうと言われています。

多くの胎児の命が救われることになるでしょう。

その中には、我が家の和実のように、染色体異常と診断された子どもたちも多くいることでしょう。

 

民主主義のルールの中で、聖書的な価値観が政治に反映されるなら、素晴らしいことだと思います。

一方で、それによって人が、永遠の滅びから救われるわけではないことも覚えておくべきです。

信仰による救いはあくまで、一人一人の自発的な応答にかかっています。

 

6. 信仰の戦いの主戦場

クリスチャンの信仰の戦いの主戦場は、常に内にあると覚えましょう。

地上の教会内であり、私自身の内です。

混沌を深める世界で、社会的な課題も重大さを増していくでしょうが、そこに捕らわれて、最も大切な使命を見失ってしまったのでは本末転倒です。

すなわち、福音を宣べ伝えていくこと。御言葉を解き明かしていくこと。

第一にすべきことを第一にし続ける。そのこと自体が、常に最大の戦いです。

 

世の終わりの神の裁き・主の日に、人々を襲うのは、主のことばを聞くことの飢饉です。(アモス8:11)

多くの教会までもが偽りを教える混迷の時代にあって、それでも聖書を学ぶ機会を与えられている恵みを思います。

この恵みの時に、存分に御言葉を味わい知りましょう。福音を宣べ伝えて行きましょう。

 

来たるべき大患難時代、一人の人を救いに導くのは、あなたが残した、一言の福音かもしれません。

携挙されるその瞬間まで、使徒の時代から変わらぬ使命が、私たちすべてのクリスチャンを導きます。

 

テモテへの手紙第二 4:2

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。

忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

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