「教会の権威ある本当の牧者とは? 牧師? それとも?」

      2017/06/08

①教会の真の牧者は、主イエスお一人です。

イエス様は、「わたしは良い羊飼いである」と言われました。新約聖書で、「羊飼い(ポイメン)」が比喩的に使われるときには、イエス様を指し示しています。

ペテロは、「わたしの羊を飼いなさい」と命じられ、初代教会のリーダーとなりましたが、そのペトロ自身、たましいの牧者は、主イエスだと告白しています。

②人間の牧者(牧師)の役割とは?

「ポイメン」が、教会指導者を指している唯一の箇所がエフェソ書4:11です。使徒、預言者、伝道者、教師と並んで牧師(牧者)が記されています。

教師と並んでいるところを見ると、信者を教え導く役割だったのだと思われます。牧師が、初代教会において、多様なリーダー的役割の一つだったと分かります。

③すべては牧師の庇護の元にある?

たとえば、教会外のセミナーに参加する時など、所属教会の牧師の許可を得るよう指導している教会は、少なくないようです。信徒は、牧師の庇護の下にいるのだから、と説明がなされたりします。

「上に立つ権威に従いなさい(ロマ13:1)」という聖句が根拠に用いられますが、この文脈は、王、政府などの世の権威との関係を記しているところです。

聖書では、神の庇護を、度々、包み込む翼に例えています(詩篇17:8他)。庇護を与える主体は、あくまでも神様ご自身です。

外部のセミナーに出席するのに、牧師の許可を得なければならない、ということになれば、カルト化した教会の信徒は、逃げ場を失います。牧師と信徒の間に信頼関係があれば、自ずと相談するでしょう。

④正面からペトロを批判したパウロ

ガラテヤ書に、使徒たちのリーダーだったペトロに対して、パウロが批判したことが記されています。

復活前のイエスと交わりがなく、「月足らず」の使徒だったパウロでしたが、ペトロが、律法主義的な信者に迎合して、異邦人信者と距離を持ち始めたとき、その過ちを正面切って問いただしたのでした。

⑤互いに自立、共生していた初代教会

信徒の食事の配分役として任命されたピリポは、聖霊にガザに行くよう命じられた時、使徒に相談したりはしませんでした(使徒8章)。

パウロは、回心した後、直接聖霊に導かれて学び、数年後に初めて使徒たちと出会ったときに、信仰の一致を認められて、ペトロと握手を交わしました(ガラテヤ2章)。両者は、完全に対等な関係です。

イエスの十字架を知らず、旧約聖書の知識だけで宣教していたアポロを導いたのは、プリスキラとアクラという夫婦の、いわば信徒伝道者でした(使徒18章)。

⑤聖霊がもたらす真の一致

初期のキリスト者が、組織的な縛りがなくとも一致していたのは、聖霊による一致があったからに他なりません。聖霊が、正しい聖書理解をもたらしました。

新約聖書が誕生するまでは、弟子たちは、旧約聖書を用いて、イエス・キリストを証ししていました。使徒たちの書簡からは、聖書理解においても、ユダヤ人としての背景と主イエスの教えに基づく、しっかりとした一致があったことがよく分かります。

聖書全体を、ヘブル的文脈から読む。当然だったことが、しかし、教会が異邦人中心となる課程で失われていってしまいました。

文脈を失い、理解できなくなったところを比喩的に解釈し始めた結果、人それぞれに解釈が違う、という混乱が生まれ、今日に至るまで、多大な影響を教会にもたらしています。

元来のヘブル的視点、文脈に立ち返って、聖書を聖書から読んでいくときに、聖書全体を貫く太い柱の存在が浮かび上がってきます。

学ぶほどに、信仰がシンプルに、力強いものになっていく。聖書の御言葉の権威こそが、教会に一致をもたらすものなのだと教えられています。

「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。ペトロⅠ2:25 」

 - 教会のいろいろ ,