Q:聖書の矛盾を、どう考えますか?
目次
Q:聖書には、矛盾する箇所が、たくさんありますよね。
すべてが神の言葉なんて言うのは無理があると思うのですが…。
なるほど。たとえば、イエスの生涯を記した福音書は4つありますが、確かに微妙な違いがありますね。どう考えたらよいのでしょうか?
1.出来事が違う!
3年半の公生涯の間、連日イエスは多くの人々と出会い、おびただしい数の奇跡を行われました。
何度も同じ話を繰り返されたでしょうし、似たたとえを用いて別なことを語られることもあったでしょう。
ですから、福音書で、一見すると同じようなに見える記事でも、実は別な出来事だということが、一つ考えられます。
たとえば、イエスが神殿を清めた出来事は、ヨハネと他の福音書で時期が違いますが、公生涯の始めにも終わりにも同じことをされたと理解できます。(ヨハネ2:13~、マタイ21:12~他)
どちらの宮清めを取り上げるかで、強調点が違っているわけです。
イエスの言行すべてを記したら世界中の図書館(当時の)にも収まらないとあります(ヨハネ21:25)。福音書が記しているのは、膨大な出来事の中から厳選した、ごくごく一部なのです。
聖書の他の書簡でも、同様のケースはたくさんあると考えられます。
2.視点が違う!! だから証言は有効。
富士山は、静岡側と山梨側とでは見え方が異なりますが、どちらも同じ富士山です。
同じ出来事でも、視点が変われば見え方も異なります。
特に証言ではこの違いが重要です。裁判で、二人の証人が一言一句全く同じことを証言したら、口裏を合わせたのではないかと、むしろ疑われます。
証人ごとに少しずつ異なるけれども、複数合わせた時に、真実が立体的に浮かび上がってくる。それが有効な証言です。
聖書もまた、証言として記されており、違いがむしろ重要なのです。
3.次元が違う!!!
聖書に記されているのは、現実世界の出来事であると同時に、この次元をはるかに超越した神の言葉、神の論理です。
絵を描くのが難しいのは、三次元を二次元で表現しているからです。どんなに精緻に描いても、多様な側面のごくごく一部を表現したに過ぎません。見る方向によって、全く違うもののように見えることもあります。
たとえば、卓上に置いた茶筒を、真上から見れば丸に見えますが、ヨコから見れば長方形です。
三次元の世界を、二次元の絵で描くのに限界があるように、人間の言葉で神の世界を表現するにも、限界があります。
一方、より高い次元では、低い次元では不可能なことが可能になります。
たとえば、3次元で可能になる、2次元では不可能なことがあります。
紙の上に記した、AとBの二つの地点があるとして、二次元上では、A、Bの二つの地点に同時にいるなんてことはできません。
しかし、これが三次元になるとどうなるでしょうか。紙を曲げて合わせれば、AとBの地点に同時にいるということが可能になります。
空間を曲げるとか、たたむという概念は、物理学や宇宙学では、当然のものとなっているようです。
神の次元では、世の不可能が可能になるでしょう。次元を超越した世界を人の言葉で伝える、驚くべき書が聖書なのです。
付:対句法について
聖書では、「対句法」という文学手法が多用されています。
A=B,A`=B`のように、同じ意味のことを言葉を変えて重ねて記すものです。
たとえば、代表的なメシア預言である。イザヤ書53章5節には、こうあります。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。イザヤ 53:5
「そむきの罪のために」→「刺し通され」、「咎のために」→「砕かれた」
「懲らしめが」→「平安をもたらし」、「打ち傷によって」→「いやされた」
ここでは、A=B,A=B
と、典型的な対句法の表現が重ねて用いられています。
対句法を理解する上で重要なのは、一つ一つの表現の違いよりも、この句全体が指し示すものを理解することです。
上のイザヤ書53:5節が示しているのは、私たちの罪を贖うためにメシアが十字架につけられる、ということです。その一つのことを、言葉を重ねて表現しているのです。
さらに言えば、聖書そのものが対句法的なもの、とも表現できます。神の栄光の喪失と回復、メシアによる救い。重要なテーマが、形を変えつつ、何度も何度も繰り返されていきます。
神様は、人間の言葉の限界を理解された上で、多様な表現と言葉を重ね、新旧訳聖書全66巻を通じて、神の国について教えられているのだと思います。
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