Q:○○○は、罪ですか?
目次
Q:これは罪ですか?って、いちいち、誰かに聞いて確認しなきゃいけないものでしょうか?
これは罪だって、一口で言える基準ってありません?
1.大前提として、みんな罪人です!
これは罪か、と、特定の罪を取り上げる以前に、大前提として確認しておく必要があります。
つまり、人はすべて罪人だ、ということです。
罪の語源は「的外れ」。罪とは、根源的には神と離れていること。人は、(神と離れた)罪人だから、罪をおかすのです。
神と断絶した状態そのものが、死です。
すべての人は罪のゆえに、死に定められています。つまりは、死刑囚です。死刑囚に、死刑囚の身代わりはできません。
人類の罪のゆるしのためには、まったく罪のない神ご自身が、人として来られ、身代わりとなる必要がありました。それが、イエス・キリストです。
2.聖書の救いは、神の怒りからの救い!!
罪人である人間を待ち構えているのは、肉体の死であり、永遠の滅びです。
義の神は、悪を見過ごしません。神は、罪を憎み、罪人に怒りを燃やされます。
キリスト教における救いとは、神の怒りからの救いです。
私たちが受けるべき神の怒りの杯を、身代わりに飲み干されたのが、イエスでした。
ですから、救われるためには、イエス・キリストが、自分の罪のために十字架につけられ、死んで葬られ、復活されたと信じ、神をそのような方として、人生に受け入れることが必要なのです。
3.罪を教えるのが、聖霊です!!!
何が罪か。聖書は、個別具体的にすべて記している訳ではありません。
罪とは、神から離れている状態そのものですから、自分が評価されたくて、心が神から離れたまま善行を行っても、その人は、罪に陥ったままです。その人の内面の、霊的な状態が問われます。
イエスは、宗教的には熱心だったパリサイ派を、偽善者と非難しました。形ばかりで、心が伴っていなかったからです。
表面だけ形を整えて安心してしまうところが、私たちにはありますよね?
でも、神様は、私たちの内面もすべてご存じですから、ごまかしようがありません。
簡単に神から離れてしまう、私たちを導くのが、信じる者に与えられた聖霊です。
聖霊が、信者の罪を教えてくれるので、その都度、信者は、悔い改めて神に立ち返ることができるということです。
自分の罪の実態に、自分で気づけないのが人間です。
何が罪かと詮索する前に、自分は今、神とつながっているのかと、確認し続けることが、とても大切だと思います。
日々聖書を読み、学び、神からの問いかけを受け取る。聖書の黙想、デボーションは、大きな助けになります。
また、祈りあえる信仰の兄弟姉妹との関係も大切です。
無自覚なまま、神から離れてしまっているような時に、それを指摘し、立ち返るよう、励ましてくれる人の存在は、信仰者の歩みに欠かせません。
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