カルト問題のまとめ カルト化した教会に直面したときに
目次
はじめに
必要に駆られて、カルトとはそもそもなんぞや? というところから、カルト化した教会のおかしなところを、あれやこれやと考えつつ、書き込んできたのですが…。
いつの間にか、結構な記事の量になっていました。
この間、驚かされたのは、「実は、わたしのいた教会も…」というような、告白や相談が、ぽつぽつ来るようになったこと。
カルト化した教会で、悩み、苦しんでいる人は、少なくないんだと実感させられました。
何か、お役に立てたらと、カルトに関連した記事を、一度整理して、まとめておこうと考えた次第です。
今後も記事をアップしたら、逐次、加えていきます。
1. 警戒しよう、教会のカルト化の予兆
① 極端な権威主義
教会がカルト化していく課程があります。第一の予兆は、指導者の極端な権威主義です。
「牧師は、神のたてられた器なのだから、神の言葉を語っているのだから、牧師には従わなければならない」などと言われる教会は、まず要注意でしょう。
指導者が、確かに神の言葉を語っている限りにおいて、その神の言葉に従うことを求められるのであって、従う対象は、決して指導者ではありません。
カルトの定義として、指導者が、神と同一視され、絶対的な権限を持っているということがあります。
Q:牧師には、従わなければならないの?
Q:牧師に、逐一報告しなきゃいけないの?
教会指導者の権威は、どこから来ているのか? 正しく理解しておくことはとても大切です。
長老、牧師… 指導者の権威の根拠はどこにある?
② 恩着せがましい「愛」
カルトは、最初の訪問を大歓迎します。ラブシャワーと呼ばれるものです。
様々な形で恩を売って、人の心を縛っていくのです。
しかし、会員になるなど、ある一線を越えた時から、様々な束縛が生じてきます。
聖書の記す愛は、見返りを求めない無償の愛です。「…してあげたのに」というのは、愛ではないのです。
また、愛は、教会に連なる一人一人が、御言葉を学び、主に従っていった結果として表れるものであって、看板に掲げるようなことではありません。
愛を過度に強調しながら、聖書の学びがおろそかにされている教会には、要注意!!
愛さえあれば、聖書知識なんて…? 知識は信仰の妨げ?
③ 「弟子訓練」という名のハラスメント
福音を信じて救われたすべてのクリスチャンは、キリストの弟子とされています。
弟子としての訓練が、クリスチャンの日々とも言えるわけですが、指導者の過度な権威主義や、ハラスメントによって、この弟子訓練が人権侵害の場に変貌してしまっている教会があります。
Q:弟子訓練で疲れ果てちゃった?
Q:一対一の弟子訓練って、聖書的ですか?
④ 実際に生じている被害
カルトかどうかを判断する一つの基準は、“実際に被害が生じている”ということです。
金銭問題などと並んで多いのが、様々なハラスメントです。
Q:愛情ゆえの叱責でしょう? ~教会でのハラスメントを考える~
⑤ 情報や交友関係の囲い込み 排他性
カルトは、“信徒の情報を制限し、行動を縛り、囲い込み“ます。
様々な理由をつけて、外部との接触を制限するような言動が、縛りが、教会にあるなら、警戒すべきでしょう。
囲い込みの根拠が、「ここだけが正しい」という、極端な排他性です。指導者が、そんなことを口にし始めたら要注意です!!
Q:この教会だけが、正しい教会? 教団、教派、集会、フォーラム、呼び名はいろいろありますが…。
➅ 目に見える成果の強調
カルト化した教会では、“様々な成果が強調”されます。
金銭的、物的な成功、信徒の増加などを強調して、それを、自分たちの正当化の根拠とするわけです。
「癒やし」も、成果として強調されることの一つです。こんな癒やしが起こった、この指導者はすごいと、人や、その地域教会を讃えるような状況は非常に危険です。
そもそも、聖書の言う、癒し、奇跡とは何か。正しく理解しておくことは、とても大切だと思います。
聖書が教える癒しとは? 癒やしのセミナーに飛びつく前に、クリスチャンに考えて欲しいこと
2. カルトって、そもそも何?
そもそも、カルトとは何なのか。カルト化した教会の特徴についてまとめました。
なぜ、教会がカルト化するのか。その理由を考えました。
カルトの信者は、マインドコントロール下にあるわけですが、マインドコントロールとは、どういう状況で、どうのようにおちいっていくのか? まとめました。
カルト化した教会には、必ず、カルト化した指導者がいます。
カルト的リーダーには、一つの共通した特徴があるのではないか、と考えました。
そうであるなら、カルト化した教会を見分ける一つの有効な方法だと思います。
Q:攻撃的なあの態度は、過去の傷のせいですか? ~カルト指導者の人格についての考察~
カルト化したキリスト教会や、キリスト教の異端から生じたカルトに対しては、キリスト教の基本的な要理を知っておくことが極めて有効です。
カルトや異端の方が数も多く、影響力を持っている、カルト王国と呼ばれる日本の現状がありますが、キリスト教の基本的教理を多くの人がよく理解していないことが、背景の一つにあると思います。
カルトにだまされないために 知っておくべきキリスト教の基本的教理
3. カルト化した教会に直面したら?
まずは、自分の置かれた状況、その教会の状況を、できるだけ客観的に観察しましょう。
専門家が作られた判定基準があり、質問に答えていくことで、カルト化の度合いが分かるようになっています。
信頼できる人に相談しましょう。教会内にいらっしゃればよいのですが、カルト化した教会では、非常に厳しいだろうと思われます。
教団教派で、相談できる窓口などがあれば、まずはそこを活用されたらいいでしょうが、設置されているところはまだまだ少ないようです。
客観性の確保というところでの限界と課題も感じます。
信頼できる外部の機関に相談するのがおすすめです。
具体的に、詐欺行為やハラスメント、虐待などの被害が生じているのなら、各関係機関に通報するということも重要です。
本当に悪質な場合には、訴訟という手段を行使せざるをえないかもしれません。
クリスチャンがクリスチャンを訴えるなんて…と、多くの方が躊躇される場面でもあります。
聖書は、罪を犯して悔い改めない者には、懲戒を記しています。参考にしていただければと思います。
Q:クリスチャンは訴えてはいけないの? 裁判・法的訴訟を考える
追記① 私自身に、カルト的体質がないだろうか?
カルトを出ても、カルト的な支配と依存の関係性を引きずっている人は少なくありません。
カルトから脱した人が、他の教会やグループで、支配的にふるまうことがあります。
カルト組織から抜け出す。という課題と同時に重要なのが、自分自身、カルト的体質から脱することです。
追記② 日本のキリスト教の教会文化に問題はないか?
神の愛ばかりが強調され、神の義・法と責任がないがしろにされている?
母性社会と呼ばれる日本にあって、教会もまた、父性に欠いて、母性的側面が強くなりすぎていることが、教会のカルト化の背後にあるのではないでしょうか?