Q:攻撃的なあの態度は、過去の傷のせいですか? ~カルト指導者の人格についての考察~

      2019/11/27

Q:平気で嘘をついて人を罠にはめるとか、ひどい暴言を吐くとか、
そういう人って、過去によほどひどい傷があるんでしょうか?

1. 近代心理学の人間理解

暴言を浴びせてくる人を目の前にして、「この人は、いったいどんな傷を抱えているんだろう」と、悶々と考え巡らした経験が、私にもあります。

しかし、過去の体験に原因を求めるこのような考え方というのは、実は、そんなに古いものではありません。近代以降に出てきたもので、せいぜい、百年そこらの歴史しかないのです。

「精神分析」という言葉を最初に用いたのが、近代心理学の祖であるフロイトです。

彼が主張したのは、神経症の患者の様々な症状の背後には、過去の抑圧体験があるということでした。

その分析に基づく治療は、確かに、神経症患者の治癒という点では一定の効果があったのです。

 

現在の心理学は、その上に築かれてきたものです。

この社会の価値観も、私たちも、その流れの上にいます。

なので、まず、私たちは、この人はどういう傷を抱えているのだろうと考えてしまうわけです。

キリスト教世界でも、過去の傷を癒やすという様々なプログラムが流行っていますが、その根っこには、同じく近代心理学の思想があるのです。

2. 従来の心理学にはまらない人々

神経症を患う人というのは、非常に良心的な人だと言われます。

強すぎる良心のゆえに、自分を責め、罪悪感を抱き、病んで行ってしまう。

この人々が、攻撃的になる時には、過去の傷やコンプレックスを防御しようとしているということです。

ところが、こういった従来の心理学的アプローチでは対処できない人々の存在が、無視できなくなってきているのです。

 

様々な臨床や研究の結果、明らかになってきたのは、これまで、心理学が対象としてきた神経症患者とは、まるで真逆の人々の存在でした。

「パーソナリティ障害」と呼ばれる人々です。

その人々は、不安感など抱いておらず、良心に欠けていて、自己評価は過大なほどに高く、自分の目的を果たすためなら手段を選ばず、嘘や恫喝によって相手を巧みにコントロールし、利己的な欲望を果たそうとするのです。

伝統的な倫理観が薄まり、苛烈な競争がむき出しの現代社会において、神経症的な人々が隅に身を潜める一方、攻撃性のある「パーソナリティ障害」を持つ人々が増加しているというのです。

神経症を病む人が、過剰なほどに良心的であるのと対極に、パーソナリティ障害の人は、良心が欠けているというほどに、利己的で攻撃的なのです。

 

良心が欠けているということは、他者に対する思いやりや共感ができないということです。

パーソナリティ障害の人は、嘘をついてコントロールするにも、罵倒して攻撃するにも躊躇がありません。

それでどうやって人とコミュニケーションをとるかというと、彼らは、良心の欠けを補うために、俳優のような優れた演技力を身につけているのです。

時に涙を流し、同情を誘うのもたやすいことです。良心的な被害者に、罪悪感や羞恥心を抱かせるために、話をすり替えることも容易に行います。

ただ支配したいために支配する人々は、権力志向が際立っており、権威を振りかざせる職業を目指す傾向が強いといいます。

だから、政治家や教師、宗教家といった職業の中に、このような支配的な人々が少なくないのです。

3. 権力をもって、人が変わった?

権力が人をゆがめるといいます。確かにそういう側面もあると思います。

巨大な権力があってはじめて、なし得る罪というものがあります。

聖書から思い起こされるのは、ダビデ王です。

ダビデは、城壁の上を歩いていたおり、沐浴中だったウリヤの妻バト・シェバを見初め、宮殿に呼び出し、関係を持ちます。

バト・シェバが子をはらむと、証拠隠滅のため、部下のウリヤを激戦地へ送り、死に追いやってしまいました。

命令一つで人妻である美女を呼び寄せ、部下を死地に送ることができる。王の絶大な権力があって、ダビデの罪は犯されたのでした。

私たちが、ダビデのような罪を犯すことがないのは、ダビデのような権力を持っていないからです。

どんな美女でも美男子でも、命令一つで呼び出し、欲するものはなんでも思うままにできる権力をもっているとしたら…?

自分はダビデのようにはならないと誰が断言できるでしょうか。

 

一方で、多くの人は、絶大な権力を持ちながら、それをコントロールする術をも持っています。

それがよく現れているのが、子育てです。

親は子どもに対しては絶対的です。文字通りの生殺与奪の権力を持っています。

イライラしていて子どもにあたってしまったとか。親としての権力を誤って使ってしまった経験を、多くの人が抱えているでしょう。

にも関わらず、多くの子どもは、それなりに成長して自立していきます。

権力は確かに、人を腐敗させることもありますが、すべての人が権力で狂わされるわけではありません。

当然のように権力を濫用し、他者を支配する人というのは、権力とは別な、個人的問題を根本で抱えているのだと考える必要があるでしょう。

4.「弱さ」を隠れ蓑にする人々

「過去の傷」や「弱さ」は、攻撃的なパーソナリティ障害の人々にとって、格好の隠れ蓑になります。

嘘をついてだましたのも、暴言を吐いたのも、「過去の傷」や「弱さ」のせいだと、時に涙ながらに哀れっぽく訴えられれば、ほろりときてしまうものです。

赦さなきゃならない、と良心的なクリスチャンは思いますし、むしろ、素直にゆるせない自分に罪悪感を抱いてしまったりします。

カルトリーダーとカルト信者の関係は、DV加害者と被害者の関係にもよく似ています。

相手の良心を巧みについて、罪悪感を抱かせ、加害、被害の関係をひっくり返してしまう。パーソナリティ障害の人々のとる常套手段です。

 

誰でも過ちを犯すことはあります。

つい、嘘をついてしまった。思わず感情的になって、大きな声を上げてしまった…。

それでも誠実に自分の罪と、弱さと向き合い、悔い改めた人には、主の赦しと慰めがあります。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。Ⅰヨハネ1:9」

しかし、意図して嘘をつく、恐怖がもたらす効能をよくよく分かっていて怒鳴りつける、それは、全く違うことです。

弱さを言い訳にする人は、ただ卑怯なだけです。
弱さを隠れ蓑にする人は、邪悪です。

大切なのは、その行いを、事実を、よく見極めることです。

5. 聖書が記す、「悪人」とは?

聖書によれば、すべての人は罪人ですが、とりわけ罪深いのが「悪人」です。

悪人は、偽りのうわさを言いふらし、偽証し(出23:1)、暴言を吐き(箴2:12)、正しい者を罠にかけ(箴12:12)、かたくなで(エレ18:12)、徹底して神に逆らい(箴17:11)、奢り高ぶり(ヤコ4:16)、人を惑わし、悪いと知りつつ(テト3:11)、ますます悪くなっていく(Ⅱテモ3:13)のです。

これらの特徴はまさに、パーソナリティ障害の人々にあてはまるものです。

 

ユダが裏切り者であることに、他の弟子たちは誰も気づきませんでした。

極悪人ほど、その正体を巧みに隠しおおせる術を身につけているのです。

ユダだけに分かるように、再三警告を発し、悔い改めの機会を与えられ続けた主イエス。

しかし、ユダは、自ら滅びにいたるまで、最後まで頑なな態度を改めようとはしませんでした。

6. 見分けるすべは?

教会を内から破壊すべくやってくる偽預言者を、主イエスは、「羊の皮を被った狼」と呼ばれています(マタ7:15)。

正体を巧みに隠して潜り込んで来る悪人をどう区別したらいいのか。

主イエスは、実によって見分けられると言われています。悪い木は悪い実を結ぶ。その行いを見なさいということです。

 

パーソナリティ障害の人々の弱点は、良心が欠けている、その点にこそあります。

自分の非を認められないために、軌道修正が難しいのです。欲望のまま突き進めば、どこかで必ず破綻します。

この人々は、正体があらわになってもなお拒絶し、欺き、甘言を弄し、同情を誘い、あるいは恫喝するでしょう。

大事なのは、表面的な反応や揺さぶりに動じることなく、露わになった事実を見据え、相手に突きつけることです。

 

当人が地域教会内の者であれば、しかるべき手順を踏んだ後には、ことを公にした上で、当人との関係そのものを地域教会から断つ必要があるでしょう。

カルト化した当人が、あなたの所属している教会のリーダーなら?

真っ先に、距離を置いて、身の安全を図るように、というのが、専門家の忠告です。

しかるべき機関に相談してください。その教会から離れる、という決断が求められるかもしれません。

健全な教会や教団であれば、戒規の適用がなされてしかるでしょう。

場合によっては、法的訴訟が必要とされるかもしれません。

 

それ以上のことは、主ご自身が行われます。悔い改めのない悪人を待つのは、世の終わりの厳しい裁きです。

悪人すらも憐れみ、愛する御子を犠牲とされた主に、委ねましょう。

主を信頼し、御言葉に学ぶ者には、主の守りがあります。

目前の悪にもたじろがず、福音を宣言した使徒たち。彼らを突き動かした同じ聖霊が、信じる者すべての内に住まわれているのです。

わたしが悪しき者に『悪しき者よ、あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪しき者に、その道から離れるように警告しないなら、その悪しき者は自分の咎のゆえに死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。エゼキエル 33:8 【新改訳2017】
主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。エゼキエル18:23【口語訳】

3:12 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
3:13 悪い者たちや詐欺師たちは、だましたり、だまされたりして、ますます悪に落ちて行きます。
3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、
3:15 また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
3:17 神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。Ⅱテモテ3:12~17【新改訳2017】

【参考資料】
他人を支配したがる人たち (草思社文庫) ジョージ・サイモン
良心をもたない人たち (草思社文庫) マーサ・スタウト

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