聖徒伝66 ヨシュア⑧23~24章 ヨシュアの遺言
【メッセージアウトライン資料PDF➡】66_ヨシュア記⑧_23~24章_210110.pptx – バージョン 32
1.ヨシュアの遺言 23章
指導者となって30年、110歳となたヨシュアは、民を呼び寄せて告げました。
主が戦われ、敵を追い出し、土地を分配されました。
イスラエルの第一の責務は、律法を守り行うこと。ただ主にすがり、主に完全に信頼することです。
主に従う限り、神の民を拒むことのできる者などいません。
常に求められるのは、信仰の吟味であり、従順の確認です。
愛するとは、積極的な選択なのです。
一方で異邦の民と交われば、滅びが降りかかることが厳しく警告されました。
主の約束は、一つもたがわず実現されました。
それゆえ、民は、主への絶対的信頼を求められます。
主の裁きは正しく、言い逃れの余地はありません。
従順には祝福、背教には呪いが下る。それが律法の原則です。
神の報いは、イスラエルの上に正確に下るのです。
2.ヨシュアの死 24章
ヨシュアは、民族のルーツを確認します。アブラハムの父テラは偶像礼拝者でした。
罪の中から神が一方的に救い出された。それが民族の始まりです。
エジプトに下り奴隷となったイスラエルを、主が導き出されました。
エジプトは裁かれ、民は主を知ったのです。
荒野の40年の後、新世代のイスラエルは、約束の地に導き入れられました。
先立って戦われたのは主ご自身です。
イスラエルは、自分が建てたのではない町に住み、自分が植えたのではない作物を食べる恵みを与えられました。
ヨシュアは、イスラエルに選択を迫ります。
主を恐れ、主に仕えるか、それとも偶像の神々に仕えるか。
ヨシュアの決意は明確です。民がどうあろうと、「私と私の家は主に仕える」と、断固とした意思を表明しました。
そして、イスラエルの民は、信仰告白をしました。
主なくして私はなく、主以外に神はいない。と主の前に宣言したのです。
できますと言って、できないのが罪ある人の現実です。
イスラエルが将来神に背くことは、ヨシュアにも民にもすでに告げられていることでした。
小さな相続地の片隅に、ヨシュアの遺体は葬られました。
ヨシュアを知る長老たちが存命の間、イスラエルは主に仕え続けました。
限られた期間とは言え、人の罪を思えば、これは驚くべきことです。
ヨシュアの願いは、民の心に刻まれていたたのです。
3.確定した滅び 希望の根拠
人には変えられない、主が確定された将来があります。
一方で、常に問われるのは、私たち一人一人の信仰者の歩みです。
暗闇が深まる一方でも、主に従う者には、なお恵みと平安があり、日々の必要が満たされるのです。
イスラエルの背教を知りながら、「私と私の家族は主に仕える」とヨシュアは宣言しました。
信仰は、他の誰でもない、私自身から常に問われ始まります。
メシアについての主の約束は、一つも違わず実現しました。
ですから、将来の約束も完全に実現されると信頼できます。
私の罪のため、十字架で死んで復活されたキリストは、再び来られます。
主イエスの福音だけが救いの道。キリストの再臨だけが、確かな希望です。