Q:牧師さんって、どうやって生活しているんですか?
よく聞かれる質問です。わたしの両親からも聞かれます。クリスチャンホームではなかったので、息子が、どうやって生活しているのか、なおさら心配なようですが…。
①いろんな形がありますが…。
牧師の給料のことを、教会では謝儀と言ったりします。謝儀も教会の様々な活動も、元は、信徒や牧師、一人一人の献金です。
謝儀のあり方は、いろいろです。個々の教会会計から、というのが基本ですが、教派教団から直接出ているところもあります。
教派で、基準を設けて一定額を支給しているところもあれば、各々の教会に任せているところもあります。
地方の小さな教会を経済的に支えるために、互助制度を設けて、支援金を出している教派教団も多いですね。
福利厚生では、ある程度の規模があって、健康保険に厚生年金という教団教派もあれば、国民保険に国民年金という牧師もけっこういます(わたしはこっち)。
宗教法人は、非課税だというのは、あくまで宗教活動に限っての話であって、牧師の謝儀には、所得として普通に税金が課せられます。
教会から謝儀が出ていれば、源泉徴収ということになりますし、開拓を始めたばかりで、給与なんてない、という場合には、確定申告になりますね。
②鹿追キリスト教会の場合
個人的なつながりから、応援してくださっている方々はいますが、既存の教団教派に属していない単立の教会という形なので、組織的な経済的支援はありません。
謝儀もなかった頃には、ホテルの結婚式の仕事が主な収入源で、自営業者として確定申告をしていました。
開拓開始から4年目を経て、なんとか教会として、いくらかの謝儀を出せるようになり、源泉徴収の手続きをとるようになりました。
いろんな合わせ技で、生活しているという形です。年度末に、あわせて確定申告をしています。
経済的な面からも、少しずつ、教会としての足場が築かれつつあります。感謝です。
私たちの属している聖書フォーラムというグループは、「自立と共生」をキーワードにしています。
経済的にも、個々に自立していることが前提です。
元々牧師だったという方も何人かいらっしゃいますが、それぞれのフォーラムのリーダーは、基本的に、仕事を持ちながら活動されています。
医師や、公務員、会社員、福祉施設の代表など、本当にいろんな方がいます。
平日は仕事、週末は、集会の準備にメッセージ。頭が下がります。
③これからの地方教会の宣教活動
地方では、存続が困難になっている寺社が増えていると聞きます。キリスト教会でも、ほとんどの教団教派で、信徒数が減少している現状があります。
この道東でも、既存の教派教団の多くの牧師は、二つ、三つの教会を兼任しています。100キロ以上離れた教会を兼任という方もざらですね…。
かつては、一教会に一人、専属の牧師がいるというのが前提のようになっていました。
しかし、これからますます少子高齢化の傾向が強まる中で、仕事をして生活の糧を得ながらというありようが、必然的に求められていくように感じています。
神様が、食べさせてくださってます。
周りの牧師家庭を見ていると、なんだかんだで、多くの子どもたちが、進学しているんですよね。
うちの娘も、牧師家庭で音大なんて!! と思いましたが、院まで卒業して、いろいろありつつも、音楽家としての道を歩み始めています。
奨学金をもらったり、バイトに励んだり、本人の努力ももちろんありますが、最終的には、神様がなんとかしてくださってるのだと強く思います。
地方の小さな教会がどんどん閉鎖していく時代に突入している中で、小さな町で開拓を始める。無謀もいいところでしたが、不思議と必要を満たされ、支えられています。
冬道の通いは厳しいという方、高齢の方、心身を病んでいる方、いろんな状況で、礼拝に足を運ぶのが難しい方々が、気軽に礼拝に参加できるようにと始めたライブ配信。
最近は、20件前後の視聴があります。youtuberには、ほど遠い、なんとも地味な働きですが…。
視聴されている方には、地方の方が多く、海外からの参加もあります。
先日、老朽化した送迎車の買い換えのために、はじめて献金の呼びかけをさせていただいたところ、予想をはるかに上回る額が寄せられて、本当に驚きました。
人口減少の進む地方での伝道を、いったい、どうやったら成り立たせていけるのか、見つからなかった答えが、少しずつ示されているように感じています。
ずっと、心に響いている聖句があります。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタ 6:33
「神の国とその義」とは、神様の約束に基づく計画のことです。
聖書に約束された神様の計画とは、いつか必ず、キリストが戻られて、世界を完全な楽園に回復させてくださるということ。ただ、福音を信じることで、その永遠の楽園である神の国に住まわせられるということです。
このことを信じ、伝えていく時に、必要なことは、自ずと満たされていく。日々を通して、実感させられています。
【youtubeチャンネル】十勝聖書フォーラム鹿追キリスト教会
毎週日曜日10時半から、礼拝のライブ配信、行ってます。チャンネル登録いただくと、開始のお知らせが届きます!!
Comment
牧師の子は寄付で音大に通えて普通の子が学費を出して貰えずに学校に行けなかったりする人がいるのも神様がいかせなかったんですかね?
事実を誤認されているようですが、牧師の子だから、音大に通えたわけではありません。そんな特別枠はありません。また、牧師が自分の子を音大に行かせたいからと訴えても寄付など集まらないでしょう。
我が家の家計では、とても考えられないことでしたから、娘の最初の希望を聞いたときには、はっきり無理だと答えました。
しかし、それから、娘は、必死に努力して特待生になり、授業料免除などの支援や、奨学金を得て高校の音楽科に通いました。
大学は音大を希望していましたが、それこそ、とんでもない高額な授業料にあきらめて、国立の教育大学の音楽科に入りました。
願った環境とは大きな落差があり、苦労したようですが、さらに努力を重ね、恩師をはじめ、それを認めてくださった方からのたくさんの支援も得て、ようやく大学院で、当初希望していた音大に行くことができました。
娘は高校、大学、院といずれも首席で卒業しました。頑張りすぎて体を壊したこともしばしばです。
本人は、自分の願う進路に適う、最低限の努力はしてきたと思います。
もちろん、どんなに努力をしても報われないこともあります。娘にも、大学の卒業間近にして、まったく声の出ない時期がありました。
なぜなんだろうと苦悩する娘から、こんなことを聞きました。
自分が神様に対して手放せていないもの、ささげきれていないものはなんだろうと考えていて、それは、歌だと分かった。そして、神様に歌をささげますと祈ったというのです。
「それなら、仕方ないね」と、私は答えました。神様に、歌をささげますと言って、それで歌えなくなったのなら、受け入れるしかないと。
その時、娘は吹っ切れたようです。歌えるのも、歌えないのも、神様の業なんだと。神様の働きのために、自分は歌わせられているに過ぎないんだと。
その後もしばらく苦しい時期が過ぎました。二回あった卒業演奏会の一回には間に合わず、なんとか二回目、最後の機会に歌うことができました。
音楽の世界の厳しさは、本人が一番よく分かっていることと思います。これから、どのように歩んでいくのか、果たして歌を続けていけるのか。それは分かりません。ただ、今も歌を続けていられるということは、すべて神様の恵みなのだと感じているようです。
与えられている恵みに感謝しつつ、今できる精一杯の努力を続けていくだけだと、本人はよく分かっていると思います。