十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

②第一次世界大戦と英国統治下のイスラエル

2017/09/26
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 第二次アリヤ

20世紀初頭の第二次アリヤで、ロシアや東欧から続いた移民は、第一次移民の基盤の上に働いていきました。

ユダヤ人労働者の政党が創設され、ヘブライ語の新聞が発行。社会主義の価値観に基づく、集団農場(キブツ)や協同組合が相次いで設立されました。

初のユダヤ人だけの町としてテルアビブが建設。1914年のユダヤ人人口は9万人。アラブ人人口は50万人でした。

ユダヤ人と一口に言っても、世俗派中心の移民たちに、既住のユダヤ教正統派もいれば、東欧、中東、アフリカと出身地ごとに言語も文化的背景も実に多様でした。時に軋轢や対立もある中、ヘブライ語が共通語として定着していきました。

2. 第一次世界大戦の勃発 1914年

第一次世界大戦で、支配者のトルコは同盟国側につき、1万8千人のユダヤ人がパレスチナを追われました。

ユダヤ人の中には、迫害の中でユダヤ人部隊を組織し、連合国側に立った者も多くいました。

大戦の終盤の1917年、英国は、「ユダヤ人の民族郷土をパレスチナに建設するための最善の努力をする」というバルフォア宣言を出します。

連合国の勝利により、パリ平和会議を経て、パレスチナはイギリスによって委任統治されることとなりました。

3. イギリスの委任統治時代

第一次世界大戦後に始まった第三次アリヤ。移民増加の一方で、アラブ人暴動が激化、英国は、ユダヤ移民の制限を始めます。

この頃、ユダヤ機関がユダヤ人の代表的組織として連盟理事会で批准され、ヘブライ大学が開校しています。

1924年のユダヤ人人口は8万3千人。アラブ人75万人。ユダヤ人による移民と開拓が進むにつれ、アラブ人人口も増加していることが分かります。

1929年、嘆きの壁での礼拝への抗議に発して、アラブ人による相次ぐユダヤ人襲撃事件が起きます。

ユダヤ人犠牲者は133名で、多くの女性、子どもも含まれました。一方アラブ犠牲者は87人。こちらは暴動鎮圧の過程で英国軍・警察に殺された者がほとんどでした。

Q:ユダヤ人は侵略者だったのか?

ユダヤ移民が得た土地は、湿地帯や荒野という不毛の地であり、トルコの不在地主から高額で購入したものでした。

この時期のユダヤ移民は、ロシアや東欧から迫害を逃れてやってきた人々が主流で、彼らの多くは貧しく、身一つで開拓に従事していました。

各所に小さな開拓地が拓かれていき、次第にネットワークが築かれ、一つのユダヤ人共同体が形作られていった。それが、19世紀後半から、20世紀初頭にイスラエルで起こった出来事でした。

ユダヤ人全体の移民先で見ると、圧倒的に多かったのはアメリカであり、100万人以上のユダヤ人が移民していたのに比べれば、イスラエル移民は、はるかに小さな規模でしかありませんでした。

人口統計からうかがえるのは、ユダヤ移民の増加に伴い、地域全体の人口も大幅に増加していることです。シリア、ヨルダン、エジプトなど周辺地域からのアラブ人の人口流入がユダヤ移民以上にあり、この時期、ユダヤ人は常に少数でした。

ユダヤ移民によって、荒れ地が緑化され、湿地帯が干拓され、町ができ、人々が集まり、仕事が生まれてくる。地域全体が活性化するなかでの人口流入だったことが分かります。

少なくとも、1948年以前、ユダヤ人が、武力でアラブ人を追い出して侵略した、という事実はどこにも見当たりません。

そのような主張がアラブ側からなされるようになるのは、1948年以後のことです。アラブ側の指導者たちの公の発言が数多く記録されています。

パレスチナ側指導者ムーサ・アラミは、1948年に、「人民は、自分の意識と想像力を補うために、大いに“神話”を必要とする」と語りました。

また、ヨルダンのアブドゥーラ王は、回顧録で、ユダヤ人によるパレスチナ人追放が作り話と認め、「アラブ人たちは、土地をどしどし売りまくり…、(嘆くにも)どしどし泣いた」と書いています。

第二次世界大戦勃発時、エルサレム法官だったハッジ・アミン・アルフセイニは、神殿の丘のアル・アクサ・モスクで出した声明の中で、アラブ人がユダヤ人に土地を売ることを厳しく禁じ、そのような者は、我々と同じ墓には入れない、と語っています。アラブ人からユダヤ人へ土地が売買されていたことが、このように反対者の立場からも、明確にされています。

 

(写真:ナザレの突き落としの崖から平原を臨む。かつてマリラヤの蔓延した湿地帯が、豊かな穀倉地帯へと姿を変えている。)

※参考資料:「イスラエル全史」 マーティン・ギルバート 朝日新聞出版

「ケース・フォー・イスラエル」 アラン・ダーショウィッツ ミルトス

「ユダヤ入門 その虚像と実像」 中川健一 いのちのことば

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