Q:天皇制とクリスチャン どう考えたらいいですか?
目次
Q:天皇制は認められない、というクリスチャンもいれば、新天皇の誕生を祝福しているクリスチャンもいます。聖書的には、どう理解したらいいんでしょう?
1. 求められるのは、地上の権威への従順!
神とされた皇帝の肖像が刻まれた貨幣で、ローマに納税する是非を問われたとき、
イエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われました。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。ロマ13:1 」
こう記したパウロも、他の使徒たちも、ローマの権威には従順でした。
地上のすべての権威は、神から出ているものですから、その権威に従うのは、クリスチャンの基本的な態度です。
憲法に定められた、国民の統合の象徴である天皇の権威の背後にも、主がおられます。
天皇に敬意を表し、従うことは聖書の命令であると言えます。
2. 最も大切なのは、最高の権威への従順!!
神の裁きの器として用いられた異邦人の王は、唯一の神に従わなければ、ひときわ厳しい裁きを受けました。
自分こそ神だとおごり高ぶったバビロニアの王ネブカドネザルは、獣のような悲惨な生活を強いられています。(ダニエル書4章)
地上のすべての権威は、唯一の主なる神に従うことを求められます。
天皇もまた例外ではありません。天皇を現人神(あらひとがみ)として祭り上げた日本は、焦土と化し、敗北を受諾した天皇は、人間宣言を行いました。
人を神としてしまった。戦後日本の歩みは、その尊い悔い改めから始まったものだと思います。
憲法に定められた国民の統合の象徴として、任を全うされた先代天皇陛下に、その任を受け継がれた現天皇陛下に、尊敬の念を示したいと思います。
3. 相手が誰でも変わらないクリスチャンの使命!!!
イエスは、神の律法に不従順な大祭司の権威を一顧だにしなかった一方、ローマ総督の決定には忠実に従いました。
十字架刑につくことは、父なる神が定められた計画だったからです。
使徒パウロは、囚われの身で、王と総督に福音を告げました。
福音をもって迫るパウロに、アグリッパ王は、「わたしをキリスト者にしてしまうつもりか」と口にしています。(使徒26:28)
この後、パウロは、ローマ皇帝に上訴しました。ローマの権威に従い、ローマ市民として訴えを起こしたのです。
聖書には記されていませんが、もし、パウロがローマ皇帝と謁見したならば、ローマ皇帝にも福音を告げたことでしょう。
主イエスも、総督ピラトに、ご自身は、真理をもたらす王であると宣言されています。
すべての権威は唯一の神から与えられたものであり、クリスチャンもまた、地上の権威への従順が求められます。
それ以上に、信仰者は何より、人の言葉ではなく、神の権威に従うべきです。
そして、すべての人は、滅びに定められた罪人なのですから、
相手がどんな権威であったとしても、神の国の使者であるクリスチャンのなすべき使命はただ一つ、福音を宣べ伝えること。それだけです。
「主イエスは、あなたの罪のために死んで葬られ、復活されたのです」と。