十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

聖徒伝31 モーセ⑤ 荒野を導く救い主 天のマナ 岩からの水

2020/08/27
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【メッセージアウトラインPDF】31_モーセ5_マナと湧水_200426
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1. 苦い水・天のパン 16章

葦の海の奇跡から3日後には、水が苦くて飲めないと恨み言を述べたイスラエル。

肉が食べたい、パンがないと不満を募らす民に、主は、天のパン・マナを与えました。

“主を知る” ことが、荒野の旅のテーマです。

イスラエルは、身を持って主の恵みを味わわされたのです。

 

マナは、毎朝、必要な分だけを取り、6日目だけは二日分集めました。7日目に、主を覚えて安息するためです。

マナは、コエンドロ(コリアンダー)の種のような白い粒で、味はウエハースのよう。煮ても焼いてもおいしく食べられました。

マナは、この後40年間、イスラエルの民を養う大事な糧となります。

2. 岩からの水 初めての戦い 17章

民は、水がないと不満を爆発させ、モーセを打ち殺そうとします。

神の恵みに生かされているのがわからず、神はいるのかと疑う。それが、人の罪の本質です。

窮地に陥ったモーセが、主の命令通り、岩を打つと、岩盤を突き破って、地下水脈が噴き出しました。

命の水をもたらした岩は、やがてくるメシアを示す影です。

 

エサウの子孫のアマレク族の略奪行為を受け、初めての戦いがなされます。

将軍として立てられたヨシュアは、後にモーセの後継者となる人物です。

戦いの本当の最前線は、丘の頂で祈るモーセにありました。

手を挙げて祈っている時は、イスラエルが優勢でしたが、疲れて手が下がってくると劣勢になる。

アロンとフルが、両側からモーセの手を支え、祈り通した結果、イスラエルはアマレクに勝利したのでした。

この出来事を通して、神は、祈りの大切さをイスラエルに教えられたのです。

 

3. 舅イテロのアドバイス 18章

イスラエルのエジプト脱出を聞いた舅イテロが、アラビア半島のミデヤンの地から、モーセの元を訪れました。

モーセの妻チッポラと「ゲルショム(寄留者)」「エリエゼル(神は助けて)」の二人の息子も一緒でした。

荒野の放浪者だったモーセは、神の助けにより、主の栄光を証しする者とされたのです。

 

イテロは、イスラエルと共に主に犠牲を捧げ、モーセたちと食事を分かち合いました。

イスラエルが、はじめて出会った、他民族の理解者でした。

朝から晩まで、民の訴えを聞いてるたモーセの様子を見かねて、イテロは、忠告します。

自ら裁くのではなく、神に委ね、神の解決法を聴きとること。そして、掟と教えによって、指針を示すことです。

民を治め、導く掟と戒めが必須。その認識を与えられたモーセとイスラエルに、次回、律法が授与されます。

 

4. 命のパンを食べよう

マナが示すのは、主イエスの生きた教え、命のパンです。

日々与えられたマナのように、霊的糧である御言葉も、毎日、その日の分を味わうことが求められます。

霊的糧も食いだめはできません。

主を知った者は、己の罪を思い知り、神の救いを求めるよう導かれます。

 

イスラエルの民の真実のゴールは、メシア・主イエスと出会うことにあります。

主イエス・キリストは、私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、復活されました。

この主こそ、私たちの救いの岩、命のパンなのです。

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