終末時代の心がまえを聖書に学ぶ
目次
1. それは世の終わりのしるしなのか?
コロナ禍、ロシアのウクライナ侵略、傾く世界経済。迫る食糧危機。いよいよ世の終わりだと叫ぶ人がいます。
エゼキエル戦争だ、反キリストだと…。
聖書そっちのけで、youtubeにはまるクリスチャンも少なくないようです。
主イエスが言われた、終末の裁きに向かう「産みの苦しみ」の時代に私たちが生かされているのは確かだと思います。
しかし、大変だと騒ぐことを、果たして聖書は求めているのでしょうか?
2. 主の日・大患難時代に対する心がまえ
旧約聖書の預言では、「主の日」と呼ばれる終末の裁きについて、様々な書簡に繰り返し語られています。
イスラエルは、世の終わり、厳しい神の裁きである主の日を通過した後、メシアによって神の国に入れられるということです。
「主の日」を、「大患難時代(だいかんなんじだい)」とも呼びます。
メシアであるイエスが来たなら、間もなく主の日はやってくるのか?
弟子たちも大きな関心を持っていました。
主イエスは、弟子たちに、「惑わされないように」と言う警告から話し始めています。
偽キリストが大勢現れ、戦争も頻発するが、世の終わりではない。
世界戦争、大飢饉、大地震の頻発は、「産みの苦しみ」の始まりであって、それでもまだ、主の日ではない。
主の日には、イスラエルは世界中から憎まれるが、最後には救いが訪れる。
大患難時代には、“間もなく主イエスが再臨される”という、「御国の福音」が宣べ伝えられる。
預言者ダニエルが告げた「荒らす忌まわしい者」、すなわち反キリストが出現し、イスラエルに大迫害が起き、偽預言者も多く現れる。
太陽、月は暗くなり、星は落ちる。天変地異の大災厄の後、再臨のメシアは、すべての人に明らかな姿で、栄光の内に現れる。
「これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません」と主イエスは告げられます。
「ただし、その日、その時がいつなのかは、誰も知りません」 なので、「目を覚ましていなさい」とも命じられています。
主イエスが求めるのは、落ち着きと緊迫感をもって、いつ来るか分からないその日に備えていることです。
3. 信者にある携挙の希望
大きな希望は、信者は、「試練の時から守られる(黙3:10)」ということです。
日本語聖書では、「時に」という訳が多いのですが、原文のekは英語のfromに相当し、「時から」が適切です。
「主の日は、盗人が夜やってくるように来る」 しかし、「その日が盗人を襲うようにあなたがたを襲うことはありません」(Ⅰテサ5:2~4)
なぜなら、信者は、たちまち、一瞬の内に主イエスのもとに挙げられるからです(Ⅰテサ4:17)。
これを「携挙」と呼びます。ギリシャ語の「ハルパゾー(上げる)」が語源です。
世の終わりの主の日・大患難時代は、いわば、世界の大リフォーム。
携挙は、リフォーム中の一時的な引っ越しです。
信者は、主イエスのもとに引き上げられ、その後、世界は、驚天動地の大患難時代に突入します。
地上に残された人々は、世界の大リフォームである災厄のただ中に巻き込まれるのです。
この大患難時代に、かつてない数の人々が主イエスを信じますが、多くの人々は迫害によって殉教します。
最後にイスラエルが民族的に回心し、メシア、栄光の主イエスが再び地上に降り立ちます。
こうして「千年王国」と呼ばれる理想世界が実現します。
4. 時代認識が明らかにする私の使命
私たち聖書フォーラムの神学的立場を、ディスペンセーションと言います。
神と民の契約をもとに時代を区分し、それぞれの時代に信者が従うべきことを明確にしているのが、ディスペンセーションの大きな特徴です。
このディスペンセーション神学を適用する際の大事なポイントは、“一つの時代を通して、信者の従うべき神の命令は変わらない”ということです。
今の教会時代に、信者に与えられた主イエスの命令は、異邦人世界をめぐって、福音を伝え、一人一人がキリストの弟子として育まれていくことです。(大宣教命令・マタイ28章18~20節)
何が起ころうとも、起こるまいとも、この使命に立ち続けることを、すべてのクリスチャンは求められています。
この時代に救われるべき、最後の一人が救われ、携挙が起きるその瞬間まで、福音宣教のこの使命は全く変わりません。
5. 神の介入なしには起こりえない終末の出来事
大患難時代に起きるとされることに、世界政府の誕生、世界の支配者となる反キリストの出現があります。
国家以上の影響力をもった巨大なIT企業の登場など、グローバル化した世界の状況は、かつてないほどリアルに、終末を実感させます。
しかし、目の前のことに振り回されて、世界政府ができつつあるとか、この人物が反キリストか、と騒ぎ立てるのはどうかと思います。
目の前の状況は、大患難時代につながっているかもしれませんし、まったく関係ないかもしれません。誰も分からないのです。
聖書が示すのは、その時が来たら分かるということだけです。
6. 主が保たれている世界の均衡
歴史は繰り返すと言いますが、繰り返しながら、振り幅は増し、事態は着実に悪化しているように感じられます。
歴史的なバブルの終焉が、世界恐慌、世界大戦へとつながっていくようなことは起こるのでしょうか?
だとしてもやはり、それはまだ、本当の世の終わり、主の日、大患難時代ではありません。
黙示録に、四人の御使い(天使)が地の四隅を押さえているという描写があります。(黙示録7:1)
この後、封印が解かれ、災厄が次々と地を襲います。7年間の大患難時代が始まっていくのです。
今の教会時代、どれほど混沌が増したとしても、それでもなお、主の御手の内に保たれています。
神の勢力と悪魔の勢力が拮抗した、今の時代の状況は、行ってみれば、綱引きのようなものです。
ピンと張り詰めた綱は、じりじりと悪の側に寄せられつつあるのかもしれませんが、それでもまだ、世界は均衡を保っています。
しかし、キリストの体なる教会に連なる、真の信仰者たちが携挙される時が来ます。
その瞬間、均衡は破れ、世界は一気に、悪魔の勢力下に呑み込まれることになるのでしょう。
瞬く間に、新しい世界秩序が築かれ、世界政府が誕生し、反キリストが出現し、かつてない、苛烈な反ユダヤ主義が世界中に吹き荒れる。
コロナ禍、つまり疫病は、主イエスの預言によれば、今の教会時代に当然起こる出来事の一つに過ぎません。
その疫病一つで、この2年の間に、どれほど世界の状況は激変したことかと思います。
ましてや、携挙は、どれほどの激変を、瞬時に世界にもたらすことでしょうか。
聖書に記された大患難時代の災厄の数々を読めば、どうやって、世界はそんな状況に陥っていくのかと気になります。
徐々に世界が変わっていく、というイメージの方が、私たち人間には理解しやすいのでしょうが、聖書が記すのは、時が来れば、一気に、その状況は出現するということです。
そして、その時は、神だけが知っておられることなのです。
7. 終末時代の心がまえ
この時代、教会にすら偽りの教えが蔓延し、人々が愚にもつかない作り話に逸れていくと聖書は警告しています。
大変だと騒いで心をざわつかせることは、偽りを忍ばせる隙を作ってしまうだけでしょう。
この時代が、「恵みの時、救い日(Ⅱコリ6:2)」とも呼ばれていることを、心にとめたいと思います。
主がなお、世界を保ち、悪を押さえ込まれています。
携挙が起きる、その瞬間まで、世界の均衡は神によって保たれ続けます。
すべてのことは、全知全能の唯一の神の手の内にあります。
大患難時代に起こるとされることはいずれも、神の介入なしには決して起こりえません。
その時は誰も知らない、と主イエスは断言されています。
世の終わりは、完全に神の領域のことがらなのです。
これがそうなのか。近いのか遠いのか。詮索することに意味はありません。
一つだけ明確なのは、この時代に、すべての信者が従うべき主イエスの使命、それだけです。
福音を告げ、救いに導かれた人々と、主の弟子として共に育まれ、遣わされて行きましょう。
「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。
マタイ福音書28:19~20」