十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

使徒の働き④ 2:42~3:10 最初の教会と使徒による最初の癒し

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

【メッセージ要約です。動画は、こちらへ】

1. 最初の教会 …迫害の中で、分かち合い、助け合い、証ししていた。

ペンテコステの聖霊降臨の後、ペテロの説教に心さされた人々3千人がイエスをメシアと信じて洗礼を受けました。教会の誕生です。

人々は、使徒たちを通して与えられたイエスの教えを堅く守り、礼拝をささげ、財産を分かち合って共に生活していました。

イエスを信じることは、ユダヤ人の共同体から排除されることでした。共有しなければ生きていけなかったのです。

エルサレムの教会は常に貧しく、後には、国外の教会からの援助によって支えられていました。

そのような中で、神ご自身が信じる人々を起こされ、日々新たな仲間が加えられていきました。

2. 使徒による最初の癒し …弟子たちによって起こされた、メシア的奇跡

ペテロとヨハネは、午後3時の祈りの時間に神殿に上りました。この時刻は、過越祭の日に、イエスが「完了した」と叫んで息を引き取った時間です。

神殿の入り口の「美しの門」に、生まれつき足のなえた男が座っていました。彼は、ここに運ばれてきては、神殿に出入りするユダヤ人を相手に物乞いをしていたのです。

ペテロとヨハネは、男に、「私たちを見なさい」と声をかけ、施しを期待する男に命じます。

「金銀はない。しかし私にあるものをあげよう。イエス・キリストの名によって歩きなさい」 そして、右手をとって男を立ち上がらせたのでした。

男は瞬時に癒され、躍り上がって立ち上がりました。「躍り上がる」という言葉は、ヨハネ4章14節では、「湧き上がる」とも訳されています。

男は、イエスをメシアと信じ、その瞬間、彼の内から命の水が湧き上がったのです。この時代の癒やしは、信じた者にのみ与えられる特別なしるしです。

男は長年、この門に座り続けていました。イエスは、神殿で何度も語っています。男は、イエスの言葉にも耳を傾けていたことでしょう。

イエスを信じ、瞬時に癒され、あふれ出る喜びのままに踊り回る男。神が私たちを癒し、しるしを現されるのは、私たちが神を賛美し、主の栄光が讃えられるためです。

かつて、ダビデ王は、契約の箱がエルサレムへ運び込まれたとき、すなわち主の栄光がエルサレムに宿ったとき、全身全霊で踊り、主の栄光を讃えました。

一方、男は、主イエスを信じて癒され、生まれ変わり、聖霊が住まわれる宮となった時、全身全霊で踊り、主の栄光を讃えたのです。

3. まとめ …「わたしを見なさい」と、わたしも宣言できる?!

人々は、生まれつき足のなえていた男が神を賛美して踊っているのを目撃しました。メシアにしかできない奇跡が、今度は、イエスの弟子たちによって起こされた。

弟子にすらメシアの奇跡が起こせるなら、その師であるイエスは、メシア以外の何者でもありません。王の王、主の主です。

この癒やしの目的は、主イエスがメシアだと証しされ、父なる神の栄光が讃えられることでした。

癒すも癒さないも、神の業です。癒されなくとも、苦難の中にもある平安をもって、神を讃え、証しすることができます。

主イエスの十字架の贖いと復活の福音を信じたあなたは、「わたしを見なさい」と、ペテロのように宣言することができます。

どんなに私が小さく、弱く、愚かな存在だとしても、この私を用いて、どれほどの愛が溢れ出しているか、私がどれほど、神に愛されているか。信者である誰もが、それを証しすることができるのです。

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