Q:聖書の引用は、いい加減すぎ? ヘブル的にはOKな、その奥深~い理由とは。
Q:旧約から新約への引用って、あまりにも違っていて、「?」なものも多いのですが…。
1.ヘブル的にはOKです!
ヘブル的引用法には、そのままの引用以外に、一部のみ同じ、とか、要約や、適用までもが含まれます。
なぜそれが認められているのでしょうか?
2.この世界の人間の言葉の限界!!
絵を描くのが難しいのは、3次元(立体)を2次元(平面)に変換しているからです。
どんなにリアルで細かい絵でも、伝えられる情報には限界があります。それは、物事のほんの一面でしかないのです。
この絵を見てなんだと思いますか?
答えは↓
象の耳の一部のアップでした。
このように、どんなに精密な絵を描いても、一部分だけでは、なんのことだかさっぱりわからない、ということがあります。
聖書の枝葉末節にこだわるあまり、全体像が見えなくなっている人は、たくさんいます。
逆に、こちらはどうでしょうか?
象だということは、一発でわかりますよね?
落書きのような絵の方が、全体の特徴をつかんでいて、的確に本質を伝える、ということもあるのです。
聖書が伝えようとしている世界観は、私たちの感覚や理性をはるかに超えたものです。
超次元のことを文字で表す限界を、聖書の本当の著者である神は、誰よりも確かに理解しておられるのです。
3.聖書の表現の多様性と奥深さ!!!
全66巻の聖書は、異なる時代や立場の人々によって、多様な表現を用いて記されています。
歴史や神学として理性に働きかけることもあれば、詩歌や格言によって、感性に訴えかけることもあります。
ヘブル語に特徴的な文学表現が対句法です。同じ意味を、表現を変えて繰り返す対句法は、聖書の特徴をよく表しています。
一つの途方もなく長大な世界観を、多様な表現を用い、多面的な視点から、少しずつ変えながら繰り返し伝えている。それが聖書なのです。
聖書そのままの引用は、神の計画の成就の正確さを私たちに教えます。
一部のみ同じという引用からは、神の計画全体を貫く大きな骨組みを概観することができます。
また、まとめや適用としての引用によって、私たちは、聖書をどのように現実に適用させたらよいかという指針を受け取ることができるよう導かれるのです。
聖書の理解を深めるために、まず全体像を押さえ、大きな流れをつかむこと。各書簡の文脈、背景を知ること。そして、一節一節を解き明かし、自分自身の日々に適用し、実感として味わっていくことが求められています。