動画&まとめ ⑬マルコ10章前半「神の国の完成を目指して」金持ちの男とイエスの問答から
1. 離縁についての教え 10:1~12
エルサレムを目指すイエスの一行が、ヨルダン川東岸を通っていると、パリサイ人が離婚について質問してきます。
律法の離婚理由の「恥ずべきこと(申24:1~4)」の解釈をめぐって、パリサイ派内には対立がありました。
この地の領主ヘロデは、不義な結婚を批判した洗礼者ヨハネを殺しています。
どう答えても身の破滅を招きかねない危険な質問でした。
イエスは逆に問い返し、離縁が許されたのは、人の心のかたくなさにあると導きます。
男女の結婚は神の創造の秩序に基づくものです。罪を犯した人のために仕方なく認められたのが離婚なのです。
男女の結婚は、神と人とのあるべき関係のひな型です。
「ヤハウェの妻」であるはずのイスラエルは、「霊的姦淫」と呼ばれる、偶像礼拝の最大の罪を犯しました。
しかし神は、イスラエルを離縁されることなく、忍耐して導いているのです。
2. 子どもの祝福 10:13~16
子どもを連れてきた人々を叱った弟子たちに、憤られたイエス。当時、最も弱い存在だったのが子どもでした。
親に完全に依存した幼子に、あるべき信仰の姿をイエスは重ねたのです。
「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない」と告げたイエスは、子どもたちに手を置いて祝福されました。
イサクがヤコブに、ヤコブがエフライムに手を置いた長子の祝福が思い起こされます。
主イエスを信頼した子どもたちは、神の長子の権利を与えられ、神の国の兄弟姉妹とされました。
私たちはただ、主イエスの十字架の贖い、葬りと復活の福音を、幼子のように信じて救われるのです。
3. 金持ちの男との問答 10:17~31
永遠の命を得るためにどうしたらよいかと金持ちの男がたずねました。
イエスは、「尊い(よい)方」という男の呼びかけを問いただします。よい方は神だけ。これは、イエスは神と信じる者だけに許される呼びかけだからです。
幼い頃から律法を堅く守ってきたと即答したこの男は、自他共に認める信仰者、人格者であったことでしょう。
彼をいつくしんだイエス。確かに彼は、真理に飢え乾く求道者でした。
しかし、持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさいというイエスの言葉に、男は悲しんで立ち去ります。
彼の最大の問題は、何よりも富を愛しているということだったのです。
4. 聖化の課程で目指すもの
金持ちの男は、富を手放せない罪を認め、主に助けを求めるべきでした。
罪に対する無力さを認め、主に信頼することが、主の求める信仰です。
罪を重ねたイスラエルが、神の憐れみと約束のゆえに見捨てられないように。
私たちもただ、主の約束の確かさの上に、信仰と恵みによって、今を支えられています。そのことを受け入れ、主に全信頼を寄せましょう。
「わたしにはできません。しかし、主が助けてくださるなら、できないことはありません」と。幼子のような信仰に、主が応えてくださいます。