動画&まとめ ⑭マルコ10章後半「主に仕え、兄弟姉妹に仕えよう」十字架の受難に向かう途上でのイエスの教え
1. 死と復活の予告 10:32~34
エルサレムを目指し、先頭を歩くイエスの後ろで、恐れおののく弟子たち。
イエスは彼らに、エルサレムで待ち構えている受難の死と復活を、これまで以上に詳細に語られました。
2. ヤコブとヨハネの願い 10:13~16
母サロメに連れてこられたヤコブとヨハネのイエスへの願い。それはようするに、神の国で右大臣、左大臣の地位に就かせて欲しいということでした。
しかし、イエスが受ける杯は、神の怒りの杯であり、そのバプテスマは十字架の死です。
後に二人は、皮肉にも苦難の杯を受けることとなりました。
ヤコブは使徒で最初の殉教者となり、ヨハネは最後まで生き残り、島流しにされています。
他の弟子たちは、抜け駆けした二人に腹を立てました。しかし、イエスは、偉くなりたいなら、むしろ仕える者となりなさいと言われました。
主イエスご自身が、仕えるため、多くの人の贖いの代価として、その命を与えるために来られたからです。
3. 盲人バルテマイの癒やし 10:46~52
一行が来たエリコは、死海の南にある荒野のオアシスです。イスラエルのカナン占領時に、神の裁きで最初に滅ぼされた町でした。(ヨシュア6章)
ここでバルテマイという盲人が、イエスに憐れみを求めます。「ダビデの子」という呼びかけは、メシアの称号の一つ。ダビデの子孫から出る神の国の王を指しています。
イエスがイスラエルに公式に拒否されて以降、癒しには信仰が求められました。大勢にたしなめられても、ますます大声で叫び続けた盲人には、イエスをメシアと確信していたのでしょう。
イエスに呼び寄せられ、盲人は、上着を脱ぎ捨てて駆け寄りました。敷布や寝袋代わりにもなった上着(外套)は、盲人の一番重要な持ち物だったでしょう。それを脱ぎ捨てたところに、男のイエスへの全的信頼が現れています。
盲人は、ただイエスをメシアを信じて救われ、そのしるしとして癒やされました。イエスについていった男は、エルサレムで、十字架と復活の出来事の目撃者の一人となりました。
4. キリストの弟子の使命
クリスチャンに求められているのは、キリストの弟子として、イエスに従い、歩むことです。
世は、福音を愚かだとあなどり、信じる者をあざけります。しかし、あの盲人のように、ひたすら主を求める者に、主は確かに応えてくださいます。
自分の愚かさをいつでも自覚していましょう。主は、無力で愚かな者を用いて、ご計画を進められます。
ちっぽけな自分自身を完全に主に委ねましょう。その自分の感情すらコントロールできないのが私たちなのです。
主に委ね、仕える人は、人に仕える者へと変えられていきます。主があなたを、人々の模範、証人として用いられます。「こんな私」をこそ用いられる、主を讃え、従っていきましょう。