Q:弟子訓練で疲れ果てちゃった?
目次
Q:熱心に教会で奉仕をして、牧師と一対一の弟子訓練までしていたのに、精神的に病んでしまった人がいて…、どうしてそうなってしまうのでしょう?
1. 弟子訓練がおかしくなるとき!
「すべての人をわたしの弟子としなさい(マタイ28:18)」 とあるように、弟子訓練は、すべてのクリスチャンに求められている、大切なことです。
しかし、弟子訓練という言葉に抵抗を感じる人も少なくありません。
一つの原因は、とても不幸なことですが、一部のカルト的な教会が行っていた「弟子訓練」にあるようです。
牧師やリーダーへの絶対服従を求められ、不従順とされれば、厳しい罰を下されたり、神の裁きを受けると脅される。
そうして、肉体的、精神的ハラスメントに常にさらされる異常な状態に陥ってしまうのです。
これは極端な例ですが、そこまででなくとも、弟子訓練に大きなプレッシャーを感じて、精神的に参ってしまう人は少なくないようです。
2. 頑張りクリスチャンの陥りがちな罠!!
弟子訓練で、どうして倒れてしまうのか。一言で言えば、頑張りすぎてしまったのだと思います。
弟子訓練に限らず、奉仕全般、信仰生活全体に言えることですが、頑張ってやり通せるものではありません。
わたし自身も、神学生の時、燃え尽き症候群に陥ってしまった、苦い経験があります。
いつでも立ち返るべき原則は、頑張ってできないから、信じたということですよね?
自分の努力で、罪の問題を解決できるなら、自分を変えられるなら、救いは必要ありません。
人は、自分で自分を救うことができない。
だからこそ、神の子イエス・キリストは、十字架にかけられ、私たちの罪を贖ってくださったのです。
救われたのだから、これからは罪を犯さないように頑張っていこう、となりがちなのですが、そうなると、信仰生活がとても苦しいものになってしまいます。
導く側の責任も問われますね。
この人を立派な弟子にしなければ、と思うあまりに、こうしなきゃならない、こうしてはダメだ、となれば、相手を袋小路に追い詰めてしまいます。
3. 聖書における弟子訓練とは?
聖書の求める信仰は、伝えられた福音に対する自発的な応答です。形ばかり、無理矢理言わせても、信じたことにはなりません。
信仰の成長の過程も同じです。自発的な応答によって、信仰は強められ、救いの確信が深められていくのです。
信じて救われ、信じて成長させられていく。
求められるのは、私を救い、変えていってくださる主への信頼です。
主イエスは、弟子たちに使命を与え、派遣されました。
ユダという裏切り者までいたほどに、主イエスは、一人一人に委ねられたのです。
使徒たちは、福音を信じた人に基本的な教理を教え、適任者を長老に指名し、その教会を委ねていきました。
使徒たちと遣わされて行った者が、次のリーダーとなっていきました。
一対一の弟子訓練というよりは、共に遣わされ、用いられて、互いに育まれていったように感じます。
真実の師は、主イエスお一人です。
一人一人が、直接、主とつながり、導かれていく。
信者たちは、兄弟姉妹としての関係性の中で、互いに励まし合い、育みあっていったのだと思います。
リーダーの役目は、その人が、主イエスの弟子として、主との関係を強めていけるように、寄り添い、導く、コーチとしての側面が強かったと思います。
結. 成長させてくださるのは神様!!!
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。Ⅰコリント3:6」
クリスチャンは、福音を信じたその瞬間に、一つのキリストの体である、普遍的教会の一部とされています。
さらには、目に見える地上の教会である、地域教会を通して、兄弟姉妹と具体的な交わりを持っていくことが求められます。
教会という共同体の交わりの中で、様々な人々との出会いを通して、私たちは、育まれていくのです。
福音を伝えてくれた人、信仰告白に導いてくれた人、基本的な教理を教えてくれた人、バプテスマを授けてくれた人、よき信仰の友がいて、両親や家族のような人がいて。様々な関係性の中で、信仰は育まれていくのです。
指導者との主従関係とは、全く異なる、豊かで広がりのある、自発的な応答に基づく関係性です。
すべての人は、愛と恵みへの応答として、ただ主を愛し、主に従うことを求められます。
そして、主に従う者同士が、主にある家族として、愛に基づく関係性を互いに築いていくのです。
何より忘れてはならないのは、成長させてくださるのは、主ご自身だということです。
信じた者のうちに聖霊がおられます。イエスさまが、聖霊と共に働きかけてくださっています。
日々、聖書の御言葉と親しみ、導きを受け取り、主との交わりの中で、私たちは成長させられていくのです。
まずは何より、主の恵みを味わいましょう。
そのために何より有効なのは、主のご計画を知ることです。
神は、なんのために世界を造られ、導き、キリストを送られ、いかに私たちの罪を贖ってくださったのか。
そして、世界を、どのように回復され、信じた私たちを、どのような姿で、住まわせてくださるのか。
聖書の恵みは、神さまの確かな約束に基づく、恵みです。
この恵みを味わうときに、湧き上がってくる喜びがあり、分かち合いたいという願いが生じていきます。
兄弟姉妹との交わりは、喜びをさらに深め、救いの確信を強めていってくれるでしょう。
さらに遣わされ、福音を宣べ伝えていきましょう。
こういう課程そのものが、弟子訓練の歩みなのです。何も難しいことではありません。
御言葉を日々味わい、主の導きを受け取り、兄弟姉妹と分かち合い、励まし合い、さらに恵みを味わっていく。
主ご自身が、あなたを成長させてくださり、きよめ、さらなる祝福を注いでいってくださると信頼して。