十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

動画&まとめ クリスマスエピローグ 「幼子イエスの出エジプト」 マタイ2:13~23

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

【メッセージアウトラインPDF】クリスマスエピローグ_イエスの出エジプト_191229

1.   エジプトへの逃避行 マタイ2:13~15

東方の博士たちの訪問後、夢でヘロデのメシア暗殺の陰謀を告げられたヨセフは、幼子イエスとマリアを連れて、エジプトに逃亡しました。

博士たちの捧げ物が逃亡中の資金となりました。

当時、ローマの属州だったエジプトは、ヘロデには管轄外でした。

さらには、100万人規模のユダヤ人共同体があり、逃れ場としても最適だったのです。

この出来事は、ホセア書11:1の成就だと宣言されています。

れはつまり、イスラエルの出エジプトという歴史的大事件そのものが、メシアの影に過ぎないという驚くべき宣言なのです。

2.   ベツレヘムの幼児虐殺 マタイ2:16~18

ヘロデは、ベツレヘムとその近辺の二歳児以下の男子全員を殺戮しました。

心も凍る恐ろしい事件ですが、ヘロデが生涯に行った大量の殺戮の中では、記録にも残されていない出来事でした。

17節で、預言の成就としてエレミヤ書31:15が引用されています。

バビロン捕囚で息子を連行されたイスラエルの母たちの苦しみを告げた箇所です。

これは、イスラエルの体験してきた苦難そのものが、メシアへの迫害を示す影なのだということを表しています。

3. イスラエルへの帰還 マタイ2:19~23

ヨセフは、天使にヘロデの訃報を告げられ帰還します。ヘロデの晩年は、血肉との争いに明け暮れたものでした。

一時ベツレヘムに戻ったヨセフでしたが、ヘロデの後継者アケラオの悪評を聞き、辺境のガリラヤにあるナザレ村へ立ち退いたのでした。

旧約聖書に、ナザレという地名は一つも出てきません。「この方はナザレ人と呼ばれる」という23節は、メシアが全くの無名の地から出るという事実を、聖書全体を要約する形で記したものです。

4. メシアの影である出エジプト

かつてイスラエルは、ヤコブの代に大飢饉を逃れてエジプトに移住しました。

400年間で数百万の一大民族に成長し、奴隷の実から解放され、神に導かれてエジプトを脱出しました。

一方のメシアは、2歳の時に迫害からエジプトに逃れ、ヘロデの死後、イスラエルの無名の地ナザレへ帰還しました。

マタイが、複数の聖書預言を引用して強調しているのは、イスラエルの出エジプトは影に過ぎず、誰の目にもとまらなかった、メシアの出エジプトという小さな出来事こそが、本体だということです。

メシアは、無力な赤ん坊として誕生され、死者のような姿で飼い葉桶に寝かされました。

なぜならメシアは、私の罪を贖い、身代わりとなって十字架にかけられて、死ぬために来られたからです。

メシア聖誕を祝い、礼拝したのは、貧しい羊飼いたちと異邦人の博士たちだけでした。

幼児虐殺の悲劇すら、歴史に記されもしませんでした。メシアのエジプトでの逃亡生活を知るのも、ヨセフとマリアの二人だけです。

神の子であるメシアは、誰よりも小さく、弱い者として世に来られました。

その究極の辱めとして、無実の身で十字架にかけられ、死んで葬られました。

ここに、神の究極の愛と憐れみがあるのです

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