Q:願いが叶わないのは信仰が足りないから?

   

Q:願いが叶わないのは、信仰が足りないからだ、実現したのを確信して祈りなさい、と言われて。やっぱり、そうなんですかね…?

1.願いが叶うのは、信仰深いから?

その理屈で言うと、一番信仰深いのは、夢を叶えた人、ということになります。

世の中で成功者と言われる人が、信仰者だということになってしまうでしょう。

「あなたの祈りが足らないからだ」と、言ってのける人は、います。

クリスチャンにも、願ったことがこれだけ叶えられてきた、と、それを自分の信仰の証のように語る人がいます。

また、そういう証を聞いて、この人の信仰はすごい、神様に選ばれた人だ、なんて、すっかり感心して、魅入られてしまう人も少なくありません。

2.成功談はあふれているけど…

当然のことながら、「自分の夢を実現した世の成功者」イコール「信仰者」ではありません。

むしろ、成功者と言われる人々の中には、ノンクリスチャンの方が圧倒的に多いでしょう。

強く願い続ければ叶う、ポジティブな言葉を唱え続ければ人生はよくなる。そういうことを主張している人々やグループは、山ほどあります。

 

信念を持つのは大切なことですし、前向きに物事を捉えようとするのも、もちろん悪いことではありません。

でも、それが、夢の実現や成功を保証してくれるわけではありません。

こうしたらうまくいったという成功者の体験談は、世の中にあふれていますが、成功者と言われるのは、ごく一握りの人々です。

この成功談と同じようにやって成功した、なんて話は、聞いたことがありません。

結局のところ、成功談というのは、個人的な体験を、「成功」という一面のみに光をあて、人生のある時を切り取って、結果から語っているにすぎません。

「わたしは、これでうまくいった」という、それだけの話です。

その人の一生涯を通じ、光も影も含めて、すべてを振り返った時には、全く違うものが見えてくるでしょう。

3.信仰がなくとも願いは叶う!!

自分は、祈って、これだけのことが実現されてきた、と誇る人がいます。

でも、大切なのは、その本質。“何によって願いが叶えられたか“です。

人の願いを叶える力があるのは、神様だけではありません。

 

イエス様を荒野で誘惑した悪魔は、この世の全てをあげようと言いました。世の支配者である悪魔は、富や力を、従う者に思いのままに与えることができます。

巨万の富を得ている独裁者や、何百万という信者を従えたカルト宗教の教祖は、まさに、自分の夢や欲望を実現し、手にしたわけですが、彼らを成功に導いたのは何だったのでしょうか。

そこが一番重要なところです。

欲望が実現する、というのは、聖書の言う祈りの実現とは、まったく別なことがらです。

4.信仰者にとっての祈りとは?

イエス様は、弟子たちに祈りの手本を示されました。それが、「主の祈り(マタイ6:9~13他)」です。

そこでは、「御心の天にあるごとく、地にもなさせたまえ」と祈られています。

祈りで、一番大切なのは、神の御心にかなったことを祈ることです。

 

絶対、確実に聞かれる祈り、とは、神様の御心にかなった祈りだけです。

では、どうやったら、御心にかなった祈りができるのか。

そのために必要不可欠なのが、聖書を正しく学び、聖書から主の御心を読み取ることです。

それなくして、御心にかなう祈りをささげられるようにはなれません。

 

自分の思いだけで祈っていれば、御心にかなっているのか、いないのか。判断することができません。

何時間も続けたから、力をこめて大声で叫び続けたから、熱心な祈りとは限りません。

的外れな願いばかりでは、何一つ主には聞かれていないことになります。

5.祈りの本質は、主に聴くこと

祈りは、霊の呼吸であるとか、神との対話だと言われます。

吸って吐くのが呼吸です。吐きっぱなしなら、酸欠で倒れてしまいます。

対話とは、聞いて、話すこと。一方的に、がなりたてているだけなら、どうして対話が成り立つでしょうか?

 

祈りにおいて、私たちがおろそかにしがちなのは、神の息吹を吸うこと、御心を聴くことです。

聖書において、荒野は、聖徒たちの祈りの場です。人々は、静寂の中で、主の御声に心傾けたのです。

「聞け、イスラエルよ(申6:4)」という呼びかけが、律法の中心にあります。

6.主のご計画は、思いを超えて

わたし自身、ずっと祈りにはコンプレックスがありました。

言葉は続かないし、何十分も祈り続けるなんて、とてもできないと感じて、引け目がありました。

さらには、自分の祈りが聞かれたなんて体験にも乏しかったのです。

 

神様が、自分の願いを叶えてくださるとは、今でも思っていません。

なぜなら、開拓伝道の中で、味わわされてきたことは、いつだって、自分の思いを超えて、動かされてきたということだからです。

実現されてきたのは、ことごとく、自分の願いとは異なる、神の御心でした。

 

「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい(マルコ11:24)」という御言葉の前提は、“主の御心に従って祈り求めるなら”、ということです。

必ず実現されるのは、自分のプランではなく、主のご計画です。信じるべきは、自分の信念ではなく、主の御心です。

それは、主イエスに呪われたいちじくが枯れたように、神の御言葉は絶対であり、全てが成就すると信じることです。

イスラエルが切に祈り求めていた神の国は、必ず完全に実現する。そのことを確信もって祈るよう、主イエスは、弟子たちを励まされているのです。

 

主の御心に基づく約束は、完全に実現します。

それを信じる者にとっては、来たるべき神の国の栄誉も富も祝福も、全てすでに与えられたも同様なのです。

山が崩れ去り、天地が溶け失せ、全く新しい天と地が造り上げられる時がきます。

御言葉を信じて宣言するとき、すべては、その通りになるのだと、確信が与えられていくのです。

 

主の祈り マタイ福音書6:9~13

『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

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