聖徒伝37 モーセ⑪ 罪と犠牲と贖いと レビ記1~10章 犠牲の捧げ物・祭司の務め
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1. 捧げ物の規定 1~7章
レビ記は、祭司の奉仕マニュアルであり、聖なる国民であるイスラエルに、正しい礼拝の方法を教えるものです。
神のきよさと人の罪の深さ。神との和解には血による贖いが必要であること。
その内容を通して、メシアとはどのような方か、レビ記は間接的に告げ知らせています。
捧げ物は、自発的になされました。
①全焼のいけにえ(焼き尽くす捧げ物)
全焼のいけにえは、祭壇の上ですべてを焼き尽くす最も重要な捧げ物。神の怒りをなだめるものです。
全焼のいけにえは、捧げる者の完全な献身を示しました。
全焼のいけにえを捧げる者の信仰を見て、神は満足されたのです。
全焼のいけにえは、メシアの全き犠牲、十字架を予見しています。
②穀物のささげ物
穀物のささげ物は、全焼のいけにえの後、感謝の贈り物として捧げた小麦です。
調理する場合、罪を示すパン種と発酵を促進する蜜は入れません。
必ず塩で味付し、油を注ぎました。塩は永遠の神の契約を示し、油は、聖霊を象徴するものです。
③和解のいけにえ(交わりのいけにえ)
和解のいけにえは、感謝献金です。
牛、山羊、羊の重要な部分のみ神に捧げ、残りは自分たちで食べました。
これは、神との食事・交わりです。
復活したイエスと弟子たちとのガリラヤ湖畔での和解の食事が思い起こされます。
④罪のためのいけにえ(罪のきよめのささげもの)
罪のためのいけにえは、贖罪の捧げ物です。
大祭司の罪の場合には、若い雄牛を全焼にしました。
イスラエルの全会衆の罪のためには、雄牛を全焼に。上に立つ者は、雄山羊。一般の人は、雄山羊か雄羊をそれぞれささげました。
貧しい者には、救済措置があり、山鳩、家鳩、あるいは、小麦でも認められました。
⑤罪過のためのいけにえ(代償のささげもの)
罪過のためのいけにえは、賠償の捧げ物です。
捧げるべきものを捧げなかったり、律法に違反したり、隣人に不正を働いた場合に求められました。
1/5を追加し、雄羊一頭を捧げました。
捧げ物の残りが祭司の取り分となりました。祭司と祭司の食物は徹底して聖別され、祭司は身を清めたのです。
2. 祭司の聖別 8~10章
祭司たちの清めがなされ、祭具と大祭司には油が注がれました。
大祭司アロンが、初の奉仕を行い、捧げ物すると、神の栄光が現れました。
ところが、アロンの息子二人が、律法を破り、「異なる火」を香壇で焚いてしまいます。
それは、偶像礼拝の儀式に通じるものであったのかもしれません。
神の方法を守らなかった二人は、たちどころに主に命を取られてしまいました。
イスラエルの民は、自分たちの抱える罪の根深さを痛感させられたことでしょう。
3. 真実の犠牲と大祭司
これらの律法の捧げ物は、一時的な罪の赦しに過ぎません。
祭司たちは、日々、犠牲を焼き続けねばなりませんでした。
しかし、真実の救いをもたらすメシアは、すでに来られ、完全な犠牲となられました。
十字架の贖いと復活の福音を信じた者は、神の永遠の若いの食卓へ招かれています。
今や、大祭司イエスが、私たち信者の祈りを父なる神にとりなしてくださっています。
安心して主に祈り、はかりしれない恵みを味わいましょう。
祭司として遣わされ、与えられた主の働きを担っていきましょう。