聖徒伝40 モーセ⑭ レビ記25~27章 憐れみの約束に生かされて ヨベルの年・背教の予告
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1. ヨベルの年 25章
約束の地での7年ごとの安息年には、土地を休ませ、自然のものだけを食べるよう告げられました。
さらに7年×7回=49年後の50年目は、ヨベルの年。全負債が免除され、土地も返還、奴隷は解放されました。
49年目、50年目と、丸2年、土地を休ませるため、48年目には3年分の収穫が約束されました。
しかし、聖書にヨベルの年が実行された記事はありません。
これは神への全き信頼がなければ、実行不可能です。
主イエスがナザレの会堂で御言葉の成就を宣言した箇所が、ヨベルの年の解放を告げるイザヤ書61:1~3でした。
ヨベルの年は、メシアによる真実の解放と回復を示すものだったのです。
イスラエルの民の間では、負債を負っても奴隷になることはありませんでした。
神の民は、奴隷から解放された自由の民であるからです。
2. 祝福と呪い 離散と回復 26章
律法に従うイスラエルは、物質的に満たされ、平和を享受し、主が臨在される、三つの祝福が約束されました。
一方、不従順に陥るなら、病と敵に恐怖し、飢え、獣に襲われ、戦争に遭い、地の荒廃と民の離散を招くことが予告されています。
事実、イスラエルは、バビロン捕囚(BC586)を招き、それによって土地は、70年間休むことになりました。
エルサレム陥落(AD70)の後、世界中に離散したユダヤ人は、この世の終わり、大患難時代には、反キリストによって民族殲滅の危機に立たされます。
彼らが民族的改心に至り、イエスをメシアと認めたその時、メシアは再臨されるのです。
イスラエルが見放されない根拠が、永遠かつ無条件のアブラハム契約です。
私たちの救いも、アブラハム契約に接ぎ木されたゆえに、永遠なのです。
3. 誓願に関する諸規定 27章
神への願いが聞かれた時には、捧げ物をする。その約束が誓願です。
土地や家畜、自分自身を捧げたのですが、実際には、20%を上乗せして買い戻す形になりました。
初子は神のものであり、捧げ物にはできませんでした。しかし主は、愛するひとり子イエスを捧げられたのです。
4. 主イエスに学ぶレビ記の適用
よきサマリア人のたとえ(ルカ10章)は、メシアによるレビ記の適用です。
“祭司とレビ人が、死の汚れを避けて、強盗の被害者を放置した一方、ユダヤ人に忌避されるサマリア人が、彼を助け、回復までの費用まで持った。”
巡礼祭を欠かさないサマリア人の残された信仰者が実際にいたのでしょう。
何より彼は、レビ記の神髄である隣人愛を実践する、真の信仰者でした。
律法は、正しい道を教えても、実行する力を与えてはくれません。むしろ、罪の現実を否応なしに突きつけます。
救いの道は、律法が指し示すメシアにこそあります。真の大祭司であり、真実な犠牲の捧げ物、完全にきよい方である私たちのメシア、主イエスに、信頼して歩んでいきましょう