世界は持続可能ですか? 聖書から考える世界の行く末
1. EVの時代? 現実とのギャップ
日本でも、2030年には、ガソリン車の販売が禁止される。そんな記事を読みました。
これからはEV(電気自動車)の時代だと声を上げる人がいますが、そう単純にはいかないようです。
現状、大容量のバッテリ-を大量生産するためには、あまりにも技術的な障壁が大きいからです。
鳴り物入りで売り出された各社のEVも生産台数はわずかです。バッテリーの供給が追いつかず、作りたくても作れない現実があるのです。
現実的には、ガソリンエンジンに、大小のモーターがついたハイブリッドが主流になっていくのだと思われます。
そもそも、EVが本当に環境に優しいのか、異論も多々あります。
発電の多くは、火力や原子力に頼っており、エネルギー効率の面でも、疑問符がついています。
バッテリーの寿命、廃棄の問題など、総合的に考えれば、むしろ環境への負荷は大きいという指摘も見過ごせません。
このように、国際社会のあちこちで掲げられるアドバルーンと現実の間には大きな隔たりがあります。
2. SDGs 「持続可能な開発目標」
否応なしに、世界的に大きな流れになっているのが、SDGs。「持続可能な開発目標」と呼ばれるものです。
環境問題の側面が強調されますが、実際は、貧困や教育、福祉、平等、平和など17の目標からなる総合的な国際目標です。
貧困をなくそう、地球環境を守ろうと言われれば、それはそうだと思います。
しかし、一面だけを取り上げて、これが問題解決の道だ、と強調されることには、違和感を禁じ得ません。
地球の温暖化ということが言われますが、本当に温暖化しているのか、研究者の間でも意見は分かれます。
過去の地球の状況を見ても、氷河期もあれば、今より海面が高かった温暖な時期もありました。
果たして50年、100年のデータで判断できるものなのか、という根本的な問いかけもあります。
温暖化の原因としてやり玉に上げられている二酸化炭素もしかりです。
温暖化と二酸化炭素の因果関係が明らかになっているわけではありません。
過去には、偽造されたデータが用いられていたという世界的なスキャンダルもありました。
3. 環境問題を訴えたグレタさん
昨年、国連の気候行動サミットで演説し、大きな注目を浴びたのが、スウェーデンのグレタさんでした。
十代の少女が、国連で世界の首脳に環境問題を訴える。現代におけるシンデレラストーリーと言えるでしょう。
彼女が強く訴えたのは、世界が危機的な状況にあること、その責任が大人達にあるということでした。
厳しい口調で問い詰める、彼女の険しい表情が印象に残っています。
グレタさんが、環境を破壊すると言って飛行機を使わない主義のため、ヨットで大西洋を往復したことも、象徴的に取り上げられました。
よくできた物語は、多くの矛盾もはらんでいます。
ヨットのクルーが飛行機で帰還したとか、彼女の好物が、それこそ南北格差の象徴のようなバナナであるとか。
化石燃料の乏しい彼女の母国スウェーデンでは、火力発電が1%未満の一方、原子力発電が40%を占めていることなど。様々な批判的な報道も目にしました。
そういった矛盾を突きつけられ、問題を抱えつつ、どう生きていくか。それが大人になっていくということだと思います。
グレタさんの発言は、大きな社会的責任を負っていないからこそ言えるものです。
それが若者の特権ですし、社会にとって必要な意見だとも思います。
同時に、現実を踏まえて、しっかりと対峙する責任が大人にはあります。
私が違和感を持ったのは、彼女を担ぎ上げた人々に対してです。
このようなシンデレラストーリーは、政治的思惑なしには考え難いことだからです。
4. 見えない宗教に向き合う
環境問題が強く叫ばれる背後に、政治的側面があることを無視することはできません。
欧州をはじめとして、斜陽にある先進諸国は、環境問題を強調することで、新興国を牽制し、世界の主導権を握り続けよう、あるいは、取り戻そうとしている。
そんな綱引きがあるのではないかと、私は考えています。
現実を無視した極端な主張には、常に危うさが伴います。
二酸化炭素を減らすことが絶対ということになれば、それこぞ、経済活動のみならず、人間の生存のそのものが問題とされてしまうでしょう。
地球環境を守る最善の策は、人類がいなくなることだ。そんな極端な主張からテロや戦争が引き起こされる日も遠くないかもしれません。
人間が叫ぶ正義には、常に落とし穴があります。純粋に正義を貫くヒーローとは、それ自体が偶像です。
グレタさんが、環境問題のシンボルのように持ち上げられている様子を見ると、新手の宗教のように感じてしまいます。
地球全体に及ぶ問題に関して、その原因をあまりにも単純化して、特定の人々に責任をなすりつけ、敵視する。そのようなありようが正常とは思えません。
5. 持続可能な開発という矛盾 永遠の希望は、ただ一つ
古代文明がことごとく滅んでいるように、有史以来、持続されてきた開発など存在しません。
持続可能な開発という言葉自体が矛盾を孕んでいます。
聖書が明確に記しているのは、すべての人は罪人で、滅びに瀕していることです。
創世記4章。殺人者カインが、神の命令に背いて定住し、その子孫が最初の都市を築きました。
様々な文明を生んだ都市から、レメクという暴君が誕生しています。
罪を極めた人間に下されたのが、大洪水の裁きでした。その痕跡の上に、私たちは行かされています。(※参考 Q:聖書の大洪水とか、本気で信じてるんですか?)
聖書に真摯に向き合うならば、突きつけられるのは、どうしようもない人間の罪の現実です。
神の民であるイスラエルですら、主に背き通しました。
歴史を見ても、人間が人間の力で理想郷を造り上げようとした結果は、どれも悲惨なものです。
革命によって独裁者を打ち倒してできたのは、より劣化した独裁体制だった。それが人類の現実です。
ならば、救いは一体どこにあるのか。
聖書が示すのは、人類の罪のために完全な贖いを成し遂げられた、神の子、主イエス・キリスト、この方です。
世の終わり、人々の心はますます信仰から離れ、愚にもつかない作り話に、囚われていくようになると、主イエスは警告されています。
世界の希望は、再臨される主イエスにのみある。聖書の記す真理です。