十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

コロナ禍のクリスマスに考えること

2021/03/31
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1. メリークリスマスと言えないアメリカ

トランプ大統領が、4年前の選挙で掲げ、訴えていた一つが、「メリークリスマス」と言えるようにする、ということでした。

メリークリスマスと挨拶するのが、はばかられる状況が強くあるということです。

一つの宗教を押しつけるのはおかしいという意見が、アメリカ国内で近年強まっているのです。

「メリークリスマス」は「ハッピーホリデー」に、「クリスマスツリー」は「ホリデーツリー」に言い換えられるという具合です。

コストコで買ったクリスマスカードセットの半分が「Happy Holiday」と記されていたのは、なるほどそういうことだったのだと分かりました。

 

精神性が骨抜きにされた祭りは、もはや意味不明のイベントに過ぎません。

同様のことは日本でも十分起こり得ると思います。

例えば正月を旧暦で祝う民族もいるのだから、元旦に「あけましておめでとう」の挨拶はやめよう、なんてことになったらどうでしょうか?

その国で大切にされ、守られてきた文化が破壊されてしまうなら、それは大変なことだと分かります。

 

今でも、アメリカ大統領は聖書に手を置いて誓約します。

アメリカ合衆国という国の誕生と形成には、キリスト教の精神が深く根付いているわけですが、それが根本から引っこ抜かれそうになっている現状があります。

アメリカのキリスト教に基づく伝統的な価値観を大切にしたいという人々と、無用の長物どころか害でしかないと破壊しようとする人々と。

ますます広がる一方のその溝は、国を引き裂きかねないほどに広がっているのです。

 

2. 日本におけるクリスマス

広島の原爆投下を描いた「この世界の片隅で」というアニメの冒頭では、年末の広島の町の賑わいが描かれています。

その場面で、クリスマスの飾り付けやサンタクロースが登場するのに驚きました。時代考証は確かで、実は、日本でも戦前からクリスマスは祝われていたのです。

若者たちが銀座に繰り出して朝まで踊り明かしたと当時の新聞記事にありました。

お祭り騒ぎのクリスマス。今と変わらぬ光景が、戦前からすでにあったことが分かります。

クリスマスは、何の日か。子どもたちには、サンタの日で、若者たちには、恋人たちの日。それが日本の実情です。

 

3. コロナ禍でのクリスマス

感染拡大の続くヨーロッパ。再度のロックダウンを決意したドイツのメルケル首相のスピーチが印象的でした。

祖父母との最後のクリスマスになってはならない。クリスマス市の屋台でホットワインを飲む楽しみも、今はどうか控えて欲しいと。

普段、冷静で知られるメルケル首相の感情露わな訴えは、危機的状況を物語っていました。

 

日本でも感染者数は拡大の一途で、重症者も増加しています。旭川では、基幹病院で次々とクラスターが発生し、一時、医療崩壊の危機にさらされました。

人ごとではありません。

ただでさえ医療設備の乏しい地方で大規模なクラスターが発生すれば、たちまち医療機関は崩壊の危機に直面させられてしまう。厳しい現実が目の前にあります。

鹿追教会でも、クリスマス聖日の愛餐会を中止としました。十勝振興局や町から、5人以上の会食の自粛が要請されている今、仕方のないことです。

 

4. クリスマスの意味を噛みしめよう

神である方が、人となられた。それがクリスマスです。全知全能の神が、無力な赤ん坊として誕生されたのです。

イスラエルが待ち望んだはずのメシアの誕生に、お祝いに駆けつけたのは、羊飼いたちだけでした。

かつてダビデ王を輩出したベツレヘムの羊飼い。しかし、その誇りは失われ、この時代の彼らは、貧しく蔑まれる存在でしかなかったのです。

二千年前の最初のクリスマスは、誰の目にもとまらない、世界の片隅の小さな出来事でしかありませんでした。

 

ここに、メシアの究極のへりくだりがあります。

赤ん坊の主イエスを包んだのは死者を葬るための布でした。石の飼い葉桶に寝かされた姿は、まるで死者のように見えたことでしょう。

主イエスは、私たち人間の罪のため、十字架で死ぬために生まれたのです。

神ご自身が、人間の罪を負って死ぬために、無力な赤ん坊として生まれた。クリスマスは、このことをこそ、覚えるべき日なのです。

集うことができない、大勢が集って祝うことができない。このコロナ禍のクリスマスはむしろ、へりくだられた主イエスを覚えるには、うってつけの時なのではないでしょうか。

 

5. サイレント・ホーリー・ナイト

「サイレント・ナイト、ホーリー・ナイト」 それが賛美歌「きよしこの夜」の歌い出しです。

よく知られたこの賛美歌は、ある教会でオルガンが故障してしまったために、ギター一本で奏楽できる賛美歌として、急遽作曲されたと言われています。

ギターによる素朴な賛美に、人々は、メシアの誕生の意味を思い巡らしたことでしょう。

メシアが誕生されたあの晩、賛美の旋律を奏でるものがあったとしたら、羊飼いたちの質素な竪琴一つだったと思います。

 

メシアの誕生は、静かな暗い夜の、ほんとうに小さな出来事でした。

神であるメシアは、誰よりも小さな存在として、へりくだって誕生された。だからこそ、主は、小さく弱い一人の声を聞いてくださる方なのだと分かります。

今、孤独と絶望の中に一人、放置されていると感じているなら、そのあなたこそ、主に最も近いところに置かれているのです。

 

今、この瞬間、主が共に寄り添ってくださっています。永遠の命という、これ以上ない最高の贈り物を携えて。

受け取るために必要なのは、ただ一つの福音を信じること。主イエス・キリストは、私の罪のために十字架にかけられ、死んで葬られ、復活されました。

主イエスが、無力な赤ん坊として暗闇のただ中に誕生されたのは、ほかの誰でもない、あなたの救いのためだったのです。

クリスマスの真実のプレゼントを手に、堅く握りしめて歩み出しましょう。

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