聖徒伝76 士師⑩ 19~21章 ベニヤミン族の聖絶 王なき時代の希望の光
【メッセージアウトラインPDF・資料はこちら➡】76_士師記⑩_19~21章_ベニヤミンの聖絶_210321
1.ギブアの民の暴虐 19章
ヨシュアの死後間もない頃の出来事です。
エフライムに寄留するレビ人が、実家に帰った側女を連れ戻しにベツレヘムに行きました。
寄留のレビ人にも関わらず、側女を囲う余裕のあった彼は、17~18章のミカの祭司のように、豪族に個人的に雇われた偽祭司の一人だったのかもしれません。
レビ人は、舅に引き留められるまま、ずるずると滞在を引き延ばしました。
ようやく彼が出立したのは、6日目の夕刻でした。安息日が迫っていたと思われます。
すぐに日は傾きましたが、近くにあったエルサレムの町に泊まることをレビ人は拒否しました。
当時はまだエブス人の町だったエルサレムを、異邦人の町だと忌避したのでした。
レビ人が、選んだのはベニヤミン族の町ギブアでした。
しかし、ギブアの住民は、旅人をもてなす義を果たさず、レビ人を泊めたのは、寄留するエフライムの老人でした。
夜、町の男達が殺到し、レビ人を犯そうとします。レビ人は、側女を引き渡し、暴行されるがままにしました。
翌朝、戸口で倒れていた側女に、立て、行くぞ、と言い放ったレビ人。しかし、彼女はすでに絶命していました。
レビ人は、その肢体を12に切り分け、抗議のしるしとして、イスラエルの12部族に送ったのでした。
2.ベニヤミンとの戦い 20章
異常な事態を受け、幕屋のあるミツパに集ったイスラエルは、くじを引き、十人に一人を報復隊に選出しました。
ギブアの民の引き渡しを求めた最後通牒をベニヤミン族は拒絶。ついに、同族同士の戦いが始まったのです。
初日の戦いは、ベニヤミン族の圧勝でした。
二日目も同様で、イスラエルの犠牲は両日で4万人に及びました。全部隊の十分の一です。
神の命じた戦いにも関わらず大きな犠牲を生じたのは、この戦いが、イスラエル全体に対する罪の裁きでもあったからです。
イスラエルは、主の前に悔い改め、律法の定めるいけにえを献げました。
三日目、神はついにベニヤミンをイスラエルの手に渡されました。
イスラエルは、伏兵を置いてギブアを襲撃。わずか600人を残して、ベニヤミン族は聖絶されました。
ギブアに立ち上った煙の柱は、神の栄光の表れ、神の裁きを示すしるしでした。
3.神への背きの末路 21章
イスラエルは、ベニヤミン族に自分たちの娘を嫁がせない、と誓っていました。
この無用な誓いに固執したために、生き残ったベニヤミンの男達に、妻をめとらせることができなくなりました。
このままでは、神の民であるイスラエル12部族の1部族が消滅してしまいます。
イスラエルは、戦いに参加しなかった同報の町を全滅させ、そこにいた処女をあてがいました。
それでもなお、ベニヤミンに、妻は不足していました。
このため、イスラエルはなんと、主の祭りで踊る乙女たちをベニヤミンに略奪させたのです。
こうして、ベニヤミン族は、かろうじて存続することとなりました。
4.打ち砕かれて主の愛を知ろう
神に仕えるレビ人を犯したギブアの罪は、御使いを犯そうとしたソドムの罪にも匹敵します。
越えてはならない一線を越え、聖絶を招いたのです。
何もかもが異常な世界で、人の良心は麻痺します。何が正しくて、何が間違っているか、まるで判断のつかない状況に陥ってしまいます。
王なき時代の混沌は、現代にも重なります。欲望が野放しの世界で犠牲になるのは、常に弱者です。麻痺
人が、自分の罪を直視するなら絶望しかありません。
安心して自分に絶望しましょう。主イエスは、私の罪のために十字架で死に、蘇られたからです。