聖徒伝83 サムエル⑤ Ⅰサムエル11~12章 サムエルの告別説教
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1. サウル王の初陣 11章
アンモン人が、ヨルダン川東岸のヤベシュ・ギルアデに攻め寄ったとの知らせが、サウルに届きます。
ベニヤミンと深い血縁関係のある町に迫った危機。この時、神の霊がサウルに降りました。
サウルは二頭の牛を切り裂き、イスラエル12部族に送ります。人々は恐れをなして王の下に結集しました。
サウル王の初陣は、圧倒的勝利でした。
サウルは、以前、不敬を働き、自分を王として認めなかった者たちを許し、寛容により王の権威を印象づけました。
またサウルは、主が勝利をもたらされたと、謙遜さをも示してもいます。
王として申し分のないスタートでした。
こうして、かつてヨシュアとイスラエルが最初に宿営したギルガルの地で、サウルは正式に王として即位したのでした。
2. サムエルの告別説教 12章
民が望んだ王は立てられました。士師サムエルは引退にあたり、最後の説教を民に告げました。
生涯、主に従い通したサムエルに、民は誰も一つの不正も見いだしませんでした。主がその証人となりました。
ですから、サムエルの告別説教の内容は、主ご自身が保証されたものです。
サムエルが第一に解き明かしたのは、神の正義です。
アブラハムと子孫への神の約束は、イスラエルの歴史を通して着実に、完全に果たされてきました。
御言葉を学ぶ者は、第一に神の義を知ります。義なくして愛は立ちません。
先祖たちの度重なる背きにも関わらず、主は民の悔い改めを受けて、何度も危機から救い出してくださいました。
主は、アブラハムと子孫への約束を守られました。ここに神の義があります。
にも関わらず、イスラエルは、アンモン人の脅威の前に、神ではなく、人間の王を求めたのです。
民が王を求めたのは、神を退けるという、罪の極みの出来事でした。
それでも主は民の願いを聞かれ、サウルを王に立てられました。ここに神の深い憐れみが示されています。
神の計り知れない憐れみにも関わらず、なお民と王が主に逆らえば、厳しい裁きが下されることとなります。
乾期にも関わらず雷雨となり、民は主を恐れ、ひれ伏しました。
主は、約束のゆえに、ご自身の民を守られます。神の義と愛、懲らしめと救いは不可分です。
3. 聖霊が働かれるために
サムエルが告別説教を語ったのは、小麦の刈り入れ、律法の定める五旬祭(ペンテコステ)の頃でした。
ペンテコステの聖霊降臨後、使徒ペテロが語った最初の説教が思い起こされます。
内容的にペテロと共通するのは、イスラエルの背きを告げ、悔い改めを迫ったことです。
聖霊が促すのは、罪を認め(認罪)、悔い改めて救われて(義認)、罪の自覚を深め、成長していくこと(聖化)です。
サウルを勝利にもたらし、使徒たち異言を語らせたように、聖霊は時に、一方的に目に見える形で働かれることがあります。
しかし、何より大事なのは、そこで語られた神の御言葉です。
聖霊のもたらす最大の恵みとは、御言葉を解き明かし、解き明かされた御言葉を理解する力です。
この教会時代に、御言葉によらずして聖霊が働かれることはありません。
聖書を喜んで学び、福音宣教の使命に押し出されていく時、聖霊は、私たちの内で力強く働いてくださるのです。