聖徒伝120 エリヤ篇3 列王記第一19章 シナイ山の荒野で
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1. 絶望の淵で 19章1~8節
イゼベルに呪われ逃げ出したエリヤ。よほどの恐怖を味わったのでしょう。
一言で状況を一変させる恐ろしい力をイゼベルは確かにもっていました。
南端の町ベエル・シェバの荒野で、エリヤは死を求めます。
紛れもなく信仰の勇者であるエリヤが、これほどの絶望に陥った。それが現実でした。
エリヤにパンと水を与え、励ましたのは主の御使いでした。
父祖たちにも現れた受肉前のメシアご自身です。
エリヤはモーセの足取りを遡り、40日かけてシナイ山にたどり着きました。
2. ホレブでの神の顕現 19章9~18節
「ここで何をしているのか」と問われた主は、もちろんご存じで、私たちの本質的なありようを問われます。
“イスラエルは主に背き、私だけが残った” それが、エリヤの悲痛な実感でした。
大嵐、地震、火。モーセの律法授与の時のような激しい神の臨在がありましたが、闇に落ちこんだエリヤには、主を感じることはできませんでした。
エリヤの心に届いたのは、主の細いささやきでした。
何をしているのかと、繰り返される神の問いに、エリヤは最初と同じ答えを返しています。
そんなエリヤに主は、具体的な使命を与えられました。
ハザエルをアラム王、エフーをイスラエル王にせよ、と。
実際には、後継者にせよと命じられたエリシャが、二人の王に油を注ぐこととなります。
彼らを通して、アハブ王朝とイゼベルに神の裁きがくだされるのです。
さらに主は、イスラエルに7千人の信仰者が残されていると告げました。
新たな使命と同労者が与えられ、エリヤは、再び立たせられたのです。
3. エリシャの召命 19章19~21節
12くびき・24頭の牛を追って畑を耕していたエリシャは富豪の息子でした。
しかし、エリヤにかけられた外套を召命のしるしだと即座に理解すると、牛を屠って家族と祝宴を挙げ、エリヤに従って行きました。
4. 闇の中に輝く光 弱さを力に
罪に満ちたこの世で、孤独と絶望に囚われてしまうことが誰しもあります。
主はエリヤを責められませんでした。
主が、彼に思い起こさせたのは、御言葉を民に伝え、後継者を育む使命です。
主は、エリシャと、同労者となる残された者七千人を備えられていました。
主の使命に生きるなら、必要は満たされます。
福音を告げ知らせることこそ、すべての信仰者の重要な使命です。
世の支配者なる圧倒的な力の前に、私たちの生身の心は、もろいものです。
しかし、主は、私たちの弱さを、私たち自身よりはるかによくご存じで、なお私たちを用いてくださいます。
主を信頼しましょう。
聖書の約束に堅く立ち、福音を告げ知らせていくならば、友も兄弟姉妹も、共におられる主が与えてくださいます。
「わたしの力は弱さの内に完全に現れる(Ⅱコリ12:9)」と言われた主が、私たちと共におられ、支えてくださいます。
世の闇は増していきますが、むしろ輝きを増す光があります。
小さくともわずかでも、輝きを増していく光の一つとして用いられていきましょう。