十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

ひとりカルトの加害と被害 本当の信仰だけが解放の道

2022/07/23
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. 重なる悲報 殺人とカルト被害

安倍元首相の殺害。恐ろしい事件に震撼しました。

驚いたのは、山上容疑者が、統一協会とのつながりを犯行の理由に挙げたことです。

理解しがたい動機だと感じました。

統一協会によって、家族を壊され、辛い経験をしたということと、直接的な関係のない人を計画的に殺害したことの間には、あまりにも大きな隔たりがあります。

 

一方で、否応なく、統一協会と政治とのつながりに、スポットが当てられています。

安倍元首相が関連団体に送ったビデオメッセージをはじめ、裏付けとなる事実が噴出しています。

国内外の様々なメディアが、報道を重ねています。

統一協会の被害者支援に尽力してきた弁護士会は、安倍元首相にも、統一協会との関わりを絶つよう訴えていたということでした。

これらに対し、事実無根だと訴える声はなく、誰も否定しようのない、周知の事実だったのだと突きつけられます。

統一協会と政治との関係を白日のもとにさらすことが容疑者の目的だったとするなら、十分に果たされているとも言えます。それも恐ろしいことです。

 

2. 岐路に立つ? 日本の政治

統一協会とのつながりについて、安倍氏を擁護する立場の人からは、騒ぎ立てることではない、という声も散見されます。

宗教団体に挨拶を送ったり、選挙協力を求めたり、当たり前に行われているじゃないかと言うのです。

一般化してしまうと、焦点がずれてしまいます。

問題とされているのは、反社会的なカルトと政治家の結びつきです。

 

デジャブのように思い起こすのは、北朝鮮による拉致が公にされた出来事です。

拉致など、そんなバカなことはないと主張していた人たちは沈黙し、逆に、日本の植民地時代はもっと悪いことをやったではないか、というような論理のすり替えが多々見られました。

あれが左派の凋落の発端だったと思います。

人権を擁護し、弱者の側に立つと訴えていた人々が、深刻な人権侵害を見過ごしてきて、なお言い繕いを重ねた。私自身、非常に幻滅した記憶があります。

 

一方、今回のことは、いわゆる「保守派」の崩壊につながりかねないように感じています。

反社会的なカルトとつながりを持っていた、というだけで十分問題ですが、何より深刻なのは、これが、保守の信条そのものに反することだと考えるからです。

統一協会は、過去の歴史を引き合いにし、韓国人への日本人の罪悪感を煽ることで信者の心を支配していました。

国によってはカルト認定され、活動もおとなしくなる中で、日本での活動は変わらず、信者への苛烈な搾取が今に至るまで続いてきたのです。

まさに「反日」の極みと言える団体とつながりあっていた。この矛盾をどう説明できるのでしょうか。

 

統一協会とのつながりは、安倍氏の祖父、岸信介氏の代にさかのぼるようです。

学生運動が激しさを増す時代、反共という一点で結びついたということです。

敵の敵は味方、ということでしょうか。

しかし、冷戦は終わり、やがて、統一協会の活動は大きな社会問題にもなりました。

そのような中で、今なお関係を持ち続けていたことに正当な理由があるとは思えません。

 

個人的には、まったく理解に苦しむのですが、それがまさに、日本の「保守」の現実なのでしょう。

いったい何から何を「守る」のか?

その中心には、明確なものは何もなく、ぽっかりと空洞がのぞいているかのようです。

カルトが入り込む隙がたっぷりあると言えます。

 

3. カルトと世の指導者の蜜月

安倍氏がメッセージを送った集会には、トランプ氏の名もありました。

統一協会は、数多くの著名な政治家を自分たちが主催する集会に招待しています。

その資金も、元をたどれば、信者から巻き上げたお金です。

 

多くのカルトがそうであるように、統一協会も、当初の過激さを和らげ、一般に認められる団体として社会に浸透していく方向性をたどっているようです。

その中で、変わらず苛烈な搾取を続けてきた、日本での特異性が際立っています。

 

統一協会との関わりを持ってきた政治家の責任は、免れません。

カルトに貸した名前は、着実に悪用されます。

著名人も参加しているなら大丈夫だと、新たな被害を生みます。

これを機に、統一協会をはじめとする、破壊的なカルトとのつながりが日本の政治から一掃されることを期待しますが、果たして、どこまでなされるのか。注視しています。

 

4. 聖書が浮き彫りにする深刻さ

統一協会と政治家のつながりについて、聖書から考えると、実はもっとシビアな問題になります。

なぜなら、統一協会は、明確な「異端」だからです。

 

キリスト教の基本的教理を否定するのが「異端」です。

何をもって異端とするか、いくらか幅がありますが、メシア理解が間違っていれば、疑いようなく異端です。

故・文鮮明氏をメシアとしている統一協会を異端と認めないキリスト者がいたら、それこそ異端です。

 

聖書が記すメシアは、ナザレのイエスただ一人です。

100%神であり、100%人である、子なる神、それがメシアです。

イスラエルが国を失った最大の理由は偶像礼拝でした。

律法が定めた最大の罪が、偶像礼拝にほかなりません。

王が任命した偽祭司が偶像を祀り、国を挙げて偶像礼拝に浸ったのです。

偽預言者が、神の名でそれを擁護しました。

 

今の教会時代に警戒すべきは、偽りの教えであるパン種を忍ばせる者たち。偽教師、偽キリスト、反キリストです。

使徒の時代からすでに、多くの反キリストがいました。

聖書が警告しているのは、この教会時代を通じて、常に多くの反キリストが存在するということです。

この時代の自称メシアは、すべて偽物であり、反キリストだと断言できます。

なぜなら、再臨のメシアは、昇天された時と同じ、栄光の姿で来られるからです。

信仰者も不信仰者も世界中の誰の目にも分かる、この世の人間とは次元の違う超越した姿でメシアは来られます。

 

5.ひとりカルト

山上容疑者が犯行前に投函した手紙を読みました。

彼が、銃の入手に費やした自身の様子を、「まるで生活の全てを偽救世主のために投げ打つ統一教会員」と記していたのが、胸に刺さりました。

ここまでの自覚がありながら、思いとどまることができなかった。

彼自身の心が、自ら立てた恐ろしい計画に、完全に捕らわれてしまっていたということなのでしょう。

それこそ、罪ある人の現実なのだと痛感させられます。

 

分かっていながら、止められない。暴走する欲望に、人格が支配されていってしまう。

暗い衝動に突き動かされていった彼自身が、まさに、ひとりでカルト化しています。

被害者が加害者となっていくというカルトのもたらす悲劇が、最悪の形で現れてしまったように感じます。

 

自分自身が欲望のままにふるまう支配的な教祖であり、同時に、欲望に従うままの奴隷のような信徒である。

さらに言えば、自分自身が、他者の命をも手にした神と化している。

「ひとりカルト」とも言える姿がそこにはあります。

 

究極の偶像礼拝とは、自分自身を神とすることです。

絶対化された自分自身の思い、考えの前には、他者の命すら価値のないものとされてしまいます。

 

6.世で求められる少数者の覚悟

権威に対する従順を聖書は説きます。すべての権威は主が与えたものだからです。

一方、地上の権威者が反キリストにすり寄るなら、それは、神に敵対する重い罪を犯したということです。

他者の命を奪う権利があると、自らの権威を主張することは、神への挑戦であり、最悪の罪です。

いずれも、神の前に、弁解の余地など一切ありません。

 

すべての者は主を恐れよと、聖書は繰り返し告げますが、世は逆に、ますます神を侮り、奢り高ぶっています。

しかし、神は侮られるような方ではありません。人は自ら蒔いたものを刈り取るようになるのです。(ガラ6:7)

 

誰もが、死後、神の裁きの座に立たされます。

真実のメシアを拒み通した者は、神に与えられていた一切の恵みを失う時がきます。永遠の滅びです。

 

被害者が加害者となる悲劇。カルトを忌避する者が、破壊的な願望の奴隷となっていく矛盾。

そのどうしようもない罪人の姿こそ、聖書が、私たちにまざまざと突きつけているものです。

 

暗闇の底にいる私たちに、父なる神は、たった一つの救いの道を示されました。

罪なき神の子、主イエス・キリストを、わたし、あなたの罪のため、十字架にかけられることによって。

死んで葬られ、死を打ち破って復活された主イエスは、信じる者を、滅びの罪から永遠にあがない出されます。

 

他に何の犠牲もいりません。ただ、主イエスの十字架と復活の福音を信じることで、どんな罪人も救われます。

福音を信じるという、ただ一つの決断が、あなたを神の怒りから永遠に解放します。

それが真実の信仰と救いです。

 

あなたと神の間には、キリストをおいて、誰も介入する余地はありません。

ただ、福音を信じることで救われ、その救いは、神の約束であるがゆえに、決して失われることはありません。

一人の信者をしばる根拠は、他の信者の誰にもないのです。

他者を支配しようとする者が、聖書の教えをねじ曲げるのも、真実の信仰者が少数なのも必然です。

 

世に対する影響力で言うなら、クリスチャンが束になっても、カルトの一教団にも及びません。

それが現実です。

イスラエルの時代、真の信仰者は常に少数で、残れる者と呼ばれました。

今の教会時代にも、真実の神に立ち返る者を探すのは、畑に隠された宝や、海の真珠を見つけるようなものだと言われています。

イスラエルが小さな者でしかなかったように、クリスチャンもまた、世にあっては貧しい者ですが、何も恥じ入る必要はありません。

その貧しさゆえに、主ご自身が働いて下さいます。貧しき者が幸いです。

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