聖徒伝65 ヨシュア記⑦20~22章 「真実の贖いの大祭司イエス」 逃れの町 レビの町
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1.逃れの町 20章
律法に規定された「逃れの町」とは、誤って人を殺した者の「血の復讐者」からの避難先です。
「復讐者」は「贖う者」という意味です。律法に、借金でとられた土地を買い戻して「贖う」責任が記されています。
同様に、殺された家族の命は、死によって贖われるべきとされていたようです。ノア契約では、殺人には死刑が定められていました。
逃れの町に逃げ込んだ者は、裁判で無罪を勝ち取るか、その時の大祭司が死んだ時に、解放されました。
究極の大祭司は、来たるべきメシアです。究極の贖いは、キリストによって成し遂げられるのです。
逃れの町は、イスラエルの地に、均等に六つが建設されました。この規定は寄留者も対象としていました。
2.レビ族の町 21章
12部族の相続地が定められた後、レビ族の町と放牧地が定められました。
祭司、奉仕者であるレビ族は、神ご自身が嗣業であり、世にあっては土地を持たない寄留者です。
天に故郷のあるクリスチャンも、地上では寄留者です。
レビ族最大の氏族、祭司アロンの一族を含むケハテ氏族は、西岸南部に町を得ました。ゲルション氏族は北方、メラリ氏族はおもに東岸南部です。
与えられた町々には、メギドやゲゼルなど未征服地もありましたが、「一つもたがわず、すべて実現した」と記されています。
主の目には、すべての約束は、一つも違わず実現しているのです。私たちへの約束もまた同様です。
3.ヨルダン川東岸部族の背教疑惑
ヨルダン川東岸に先に相続地を得ていた、ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、全イスラエルが土地を得るまで、共に戦い通しました。
誓約を守り、大いに祝福されて帰還したのです。
ところが、彼らが東岸に巨大な祭壇を築いたことが分かります。偶像礼拝に陥ったのなら、打たねばなりません。
イスラエルは、厳格な祭司ピネハスと西岸十部族のかしらを代表として派遣し、真意を確かめました。
東岸三部族の答えは、子孫達が地理的に離れているがゆえに、同胞から離れ、神に背くことのないよう、記念として建てたのだということでした。
イスラエルは、彼らの答えに満足し、神を讃えました。民同士の戦いはさけられ、絆はかえって深められたのです。
4.真実の大祭司イエスを仰ぎ見つつ
信仰は、将来に希望を置き、今に向き合う底力です。決して現実逃避の手段ではありません。
クリスチャンは、世にあっては寄留者。試練も苦難も避けられません。しかし、来たるべき神の国では、永遠の相続地が約束されています。
レビ族同様、クリスチャンにとっても、主ご自身が嗣業であり、相続地なのです。
クリスチャンは、旅人です。旅人が放浪者と違うのは、帰るべき故郷が約束されていることです。
だからこそ、困難の中でも、旅を味わい、楽しんでいくことができるのです。
帰るべき故郷が約束された旅人として、今を味わい、歩んでいきましょう。