十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

詩篇27篇 主の御顔を慕い求める、祈りの歌 

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

詩篇27篇

ダビデによる
27:1 【主】は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。
【主】は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。

27:2 悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、
私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。
27:3 たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。
たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。

27:4 私は一つのことを【主】に願った。私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、【主】の家に住むことを。
【主】の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。

27:5 それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、
その幕屋のひそかな所に私をかくまい、
岩の上に私を上げてくださるからだ。
27:6 今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。
私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、
【主】に、ほめ歌を歌おう。

27:7 聞いてください。【主】よ。私の呼ぶこの声を。
私をあわれみ、私に答えてください。
27:8 あなたに代わって、私の心は申します。
「わたしの顔を、慕い求めよ」と。【主】よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。

27:9 どうか、御顔を私に隠さないでください。
あなたのしもべを、怒って、押しのけないでください。
あなたは私の助けです。私を見放さないでください。
見捨てないでください。私の救いの神。

27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、【主】が私を取り上げてくださる。
27:11 【主】よ。あなたの道を私に教えてください。
私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。

27:12 私を、私の仇の意のままに、させないでください。
偽りの証人どもが私に立ち向かい、暴言を吐いているのです。
27:13 ああ、私に、生ける者の地で【主】のいつくしみを見ることが信じられなかったなら──

27:14 待ち望め。【主】を。雄々しくあれ。心を強くせよ。
待ち望め。【主】を。

 

ダビデとは?

この詩篇27篇の作者ダビデは、日本で言えば、織田信長と豊臣秀吉と徳川家康を足しても及ばないくらいの存在感ある王です。

一介の羊飼い出身ながら、王となり、イスラエル王国の礎を築いた人物でもありました。

勇敢な武人であるとともに、竪琴の名手でもあり、詩篇には、ダビデの詠んだ歌が数多く収められています。

ダビデの苦難

ダビデの半生は苦難に満ちています。前王サウルに仕えていた頃、いわれなきことで命を狙われ、都を逃れて、荒野で逃亡生活を送った日々がありました。

王についた後も、息子が反逆し、一時都落ちする苦悩を味わっています。

ダビデの過ち

聖書を代表する信仰者のダビデですが、重い罪も犯しています。部下の妻と関係を持ち、妊娠が発覚すると、部下を激戦地に送り込んで殺してしまうのです。

預言者ナタンの厳しい叱責を受けて悔い改めたダビデですが、赤ん坊は出生後まもなく死去。晩年は、息子の反逆や、信頼していた部下の裏切りなどの苦悩を抱えることとなりました。

ダビデが受けた祝福

それでもダビデは、神から大きな祝福を受けています。最たるものが、ダビデの子孫からメシア(救い主)が生まれると神に約束されたことです。

イスラエルの先祖アブラハムに約束されたのは、その子孫から現れるメシアを通して人類が救いに導かれるということでした。ダビデは正式に、その約束の継承者となったのです。

詩篇27篇について

詩篇27篇を、ダビデがいつ詠んだのかはわかりません。この詩は、4つの段階を踏んだ祈りとなっています。

①神への信頼の告白(1~3節)があり、
②神との交わりを求める祈り(4~6節)がささげられ、
③神への嘆願(7~12節)がなされ、
④人々への呼びかけ(13~14節)で、締めくくられています。

27篇5節「 それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。」

隠れ場、幕屋、岩が、象徴的にあらわすのは、救い主(メシア)です。

ダビデは、信仰者に約束された永遠の命を信じていました。

やがて、メシアによって回復された世界で、揺るぎなく平安に満たされる時がくる。

その約束を握りしめ続けたことが、苦難の中で、ダビデを支え、力づけ、さらなる神への信頼へとつながっていたのです。

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」   Ⅱコリ3:16

 

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