⑧モーセ 十の災い 最初の過越 葦の海を渡って
1. 救いの約束 出エジプト記5~6章
モーセはパロと対面し、イスラエルの民の解放を訴えます。が、パロは怒り、民の労役を重くします。
このとき、あろうことか、民の不平は、モーセに向けられました。
落胆したモーセに、神はエジプト解放の約束を再確認させ、励まします。
2. 十の災い 出7~11章
再び立ち上がり、パロと対決するモーセ。
杖をヘビに変え、エジプトの呪術師たちを圧倒します。それでもパロは心を頑なにし、以降、十の災いが下ります。
災いは、3回を1セットとして3回。そして、最後の災いが下ります。
十の災いは、エジプトの神々を裁くものです。
千の神々がいると言われたエジプトの頂点がパロでした。それらの神々が何の力もない偶像にすぎないことを、十の災いが明らかにしたのです。
偶像とは人間が作り出した都合のいい神。偶像礼拝は、自己中心という罪の本質を如実に現しています。
3. 最後の災いと過越 出12~13章
最後の災いの前に、神は、イスラエルの民に過越の命令を出します。
羊を犠牲にし、その血を家のかもいと門柱に塗る。
この命令を与えられ、従ったイスラエルの民だけが、初子の命を絶たれるという最後の裁きを逃れられたのでした。
過越の犠牲の羊が現すのは、人類の罪をあがなったメシア、イエスのことにほかなりません。
過越祭に、十字架にかけられたイエスこそ、罪も汚れもない、完全な子羊でした。
4. 葦の海を渡る 出14章
パロはとうとうイスラエルを解放します。
エジプト人は、イスラエルの民に、金銀などを渡します。彼らの心には、イスラエルへの畏怖が生じていました。
こうしてイスラエルは、400年の奴隷生活の正統な対価を得たのです。
神は、大きく迂回してシナイ山に民を向かわせます。さらには、海を背にした袋小路に行かせるのです。
そこに現れたのが、当時、世界最強を誇ったエジプトの戦車部隊でした。
絶体絶命の危機に泣き叫び不平を言う民。しかし神に命じられて、民が、海に向かって歩きだすと海は分かれ、その河合たちを渡っていったのでした。
エジプトの兵士たちは、海に飲み込まれ、ここに、イスラエルを苦しめ続けてきたことへの裁きが下されました。
5. 信じて踏み出すのが信仰
民が危機に陥った時、神はモーセに、「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。…前進するように言え」と告げました。
もう祈る時ではない、歩み出す時だと、命じられたのです。そして民は、海がまだ分かれていない状態で歩み始めました。
分かれてから歩き始めるなら、それはただの確認です。分かれる前に歩き始めるのが、信仰なのです。
神の約束の確かさを学び、信頼し、神が生きておられる方であることを体験していきましょう。それが、神を知るということです。