㉓使徒ヨハネ 聖書啓示のアンカーマン 黙示録 七つの教会 預言された教会時代の変遷 1~21世紀

      2017/10/13

 

黙示録2~3章、栄光のキリストが七つの教会に宛てた手紙は、教会時代のすべての教会のひな形であり、教会時代の教会の歩みを現すものともなっています。

1. エペソ 使徒時代の教会 1世紀

1世紀の使徒時代の教会は、正しい教理に立ち、悪い者、偽教師を拒みました。

エペソとは、「好ましい」という意味です。主の目に好ましいのが、この時代の教会でした。

一方、初めの愛から離れてしまいました。どこから落ちたか、悔い改め、初めの行いをせよ、と主イエスは、命じられています。

2. スミルナ 迫害時代の教会 1~4世紀

1~4世紀。ローマ帝国の厳しい迫害下にあった貧しい教会を、主は賞賛し、死に至るまで忠実であれと励まされています。

スミルナは、「没薬(もつやく)」を意味します。「没薬」は、死者を葬るときに塗る香油です。この時代の教会は、迫害の中、多くの殉教者を出しました。

迫害下にあって、信仰を守り続けたスミルナの教会には、キリストからの叱責は一切ありません。

3. ペルガモ 国家教会時代の教会 4~5世紀

4~5世紀。教会がキリストへの信仰を保ち続ける一方、異端の教えを唱える者も数多く出現しました。

ペルガモは、「結婚した」という意味。キリストの花嫁として信仰を保つ信者たちの一方、異教的な教えと結婚する者も現れました。

メシアニック・ジュー(ユダヤ人クリスチャン)が周辺に追いやれると共に、イスラエルは、キリスト殺しのユダヤ人から、教会にとって代えられたのだ、教会が新しい霊的なイスラエルなのだ、という「置換神学」が浸透していきます。

従来のヘブル的(ユダヤ的)文脈を失い、聖書で意味が分からなくなったところは、比喩的、象徴的に解釈されるようになっていきます。

この時代の教会に対して、キリストは、度を過ぎた寛容と妥協を叱責され、悔い改めを命じられています。

4. テアテラ 暗黒時代の教会、6~15世紀

6~15世。教会が国家と一体化し、教理を独占した中世の暗黒時代にも、真の信仰者の流れは途切れませんでした。

テアテラは、「継続した犠牲」を意味します。暗黒時代に信仰を保つ者は、常に迫害にさらされました。

この時代、ある信者の間には、行い、愛、信仰、奉仕、忍耐において、初代教会にも優る行いがあったのです。アッシジのフランチェスコなどが思い出されます。

一方、マリア崇拝に象徴される異教の女神信仰や様々な偶像崇拝が教会にはびこりました。

悔い改め、正しい行いと教理を維持することを主は求められています。

5. サルデス 宗教改革時代の教会 16~17世紀

16~17世紀。暗黒時代の果てに正しい教理から逸脱し、瀕死に陥っていた教会が、なんとか一命をとりとめた。それが宗教改革でした。

ルターらを通して、救いは信仰と恵みによる、という救いの原則が回復されたのがこの時代です。

サルデスとは、「逃れる者」という意味です。教会は、救いの原則に立ち返り、滅びを逃れました。

救済論は回復されたものの、イスラエル論、終末論については手つかずのままでした。ルターが、キリストを拒んだ民として、ユダヤ人に対する露骨な差別意識を持っていたことは、よく知られています。

プロテスト(抵抗、抗議)から始まったプロテスタント教会は、国教会化していき、国家権力と再び結びついていくこととなります。

この時代の教会は、正しい行いの生きた教会と呼ばれる一方、実は死んでいる。目覚め、正しい教えに立ち返り、堅く守れと主は命じられます。

6. フィラデルフィア 大宣教時代 18~19世紀

18~19世紀。かつてない規模の世界宣教が行われたこの時代の教会に対して、叱責はなく、奨励すらありません。主イエスの大宣教命令に対する忠実さゆえでしょう。

フィラデルフィアは、「兄弟愛」を示します。隣人愛に基づく伝道に、多くの人々が身を献げました。

未伝地に命がけで宣教していった多くの信者がおり、日本の教会もその尊い犠牲の上に、誕生したのでした。

7. ラオデキア 背教時代の教会 19世紀~現在

19世紀以降は、背教の時代です。聖書の権威を貶め、人間の理性を絶対化した自由主義神学(リベラル)は、その象徴です。戸口に立って主が叩いているとあるように、イエスは教会から閉め出されています。

ラオデキアは、「人々が支配する」という意味。ヒューマニズムという人間中心の究極のエゴイズムが教会を支配する時代と言えます。

熱くも冷たくもなく生ぬるい、主の口から吐き出される、惨めで哀れで盲目で裸の教会。キリストの厳しい叱責が向けられているのは、リベラルの教会にとどまりません。

個人的な救いや癒し、世的な成功や幸福、安易な愛ばかりが語られ、終末と裁き主としてのイエスに、福音派においてすら、多くの人が目と耳を塞いでいるようです。

背教の時代にあって、かつてない規模で、偽りの教えが教会を侵食しています。

この時代に回復されるべきものが、聖書に基づくイ正しいスラエル論と終末論です。

背教時代の教会の救いは、メシアニック・ジューの登場に大きく影響を受けたヘブル的視点の回復によって、本来あるべき聖書解釈が回復されてきているということです。

その大きな流れの上に、私たち、聖書フォーラム運動もあります。

 - 神の約束に生きた人々 ,