㉒使徒パウロ 宣教旅行 そしてローマへ ユダヤ人と異邦人 オリーブの木のたとえ
1. 宣教旅行
使徒ヤコブの殉教後のこと。アンテオケ教会に聖霊が告げ、バルナバとパウロが初の宣教旅行に送り出されました。
大きな成果を得て帰還したパウロは、エルサレム使徒会議に参加。そこでは増加する異邦人信者への対応が協議され、異邦人も信仰と恵みによって救われるのであり、ユダヤ人になる必要はないと結論が出たのでした。
以降、異邦人伝道が本格化。 続く二回目の宣教旅行で、パウロは、聖霊に導かれて、マケドニア地方(ギリシャ)へ渡ります。これが欧州伝道の始まりでした。
2. パウロの逮捕・護送
第二回目の宣教旅行から、聖霊に促されてエルサレムに帰還したパウロを待ち受けていたのは、ユダヤ人による迫害と、ローマ軍による逮捕でした。
命を狙われていたパウロは、ローマ軍に護送され、ローマ総督府のあったカイザリアの街に幽閉され、数年を過ごします。
パウロは、獄中にあっても、総督や国主に福音を説き、無罪が明らかにも関わらず、あえてローマ皇帝への上訴を行います。
ローマへの護送が決まるパウロ。それもまた、神の計画によることでした。
3. ローマから世界へ
カイザリアを船出した護送団は、パウロの忠告を無視し、無理な航海の結果、遭難、難破。しかし、漂着したマルタ島は、イタリア半島の鼻の先でした。
ローマに到着したパウロは、伝道の原則に従って、まずローマのユダヤ人に福音を告げます。ある者は信じ、ある者は頑なに拒みました。
その上でパウロは、異邦人への伝道を宣言したのです。こうしてローマにおいて異邦人伝道が推し進められていきました。
パウロの最期は、ローマ皇帝ネロの迫害の下での殉死だったと言い伝えられています。
4. ユダヤ人に接ぎ木された異邦人信者
異邦人信者の増加の一方で出て来た、ユダヤ人は神に見捨てられたという主張を、パウロは明確に拒否しています。
なぜなら、神がアブラハムと結んだ契約(アブラハム契約)は、その子孫イスラエルに及ぶ、無条件の永遠の約束だからです。
イスラエル民族とは、いわば、神が直々に育んだ、栽培種のオリーブの木。イスラエルは、メシアを拒んで折り取られてしまい、そこに異邦人という野生種のオリーブの枝が接ぎ木されました。
しかし、折り取られた枝も、神の約束のゆえに見捨てられてはいないのです。(ローマ11章)
聖書が記す約束は、終末の時、大迫害を経て民族的悔い改めを果たしたイスラエルが回復されるということです。
5. 世界宣教と私たち
福音は、イスラエルから欧州、アメリカ、アジアと西回りで伝えられ、今再びイスラエルへ回帰しようとしています。
イエスこそメシア(救い主)と信じることこそユダヤ人として当然なのだと告白する、メシアニック・ジューがじわじわと増えています。まだまだ圧倒的に少数派とはいえ、それでもユダヤ人社会に、無視できない影響を及ぼしつつあるようです。
パウロの伝道の原則は、教会時代の原則であり、今も生きています。
まずユダヤ人の救いを祈り、そして、異邦人伝道に力を注ぐこと。
異邦人の救いが満ちたとき、携挙が起き、ユダヤ人の民族的救いの後に、主イエスは再臨されるのです。