動画&まとめ ⑪マルコ9:1~13「栄光の主に招かれる時」ヘルモン山でのイエスの変貌

   

1. ヘルモン山での主の変容

ピリポ・カイザリヤでのペテロの歴史的信仰告白の後、イエスは、弟子たちの中に神の国の到来を目撃する者がいると告げます。

最年少のヨハネは最後まで生き残り、天使の導きで終末を目撃、証言を黙示録として記しました。]

6日後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れ、ヘルモン山に登ります。
標高2814m、イスラエルの最高峰であり、ヨルダン川の源です。
モーセがシナイ山で律法を授かったことが思い起こされます。

弟子たちの目前でイエスは、白く輝く姿に変わります。
次元を超えた輝きは、主の栄光の顕現、シャカイナグローリーでした。主イエスは、公生涯でただ一度、本来の姿を現されたのです。

同時に現れたエリヤとモーセ。生きたまま天に挙げられたエリヤは、携挙された信者の型であり、モーセは死んで召天した信者の型です。
イエスが二人と語り合う姿は。教会時代のゴールを示す光景だと言えるでしょう。

神の栄光を目撃し、恐れる弟子たち。何を言うべきか分からなかったペテロが思わず口に出したのは、三つの仮小屋を建てましょうということでした。

イスラエル三大祭の一つ、秋の祭りの仮庵祭では、仮小屋を建て、荒野の四〇年を記念します。
王であるメシアの到来を覚える仮庵祭が、今まさに実現したのだとペテロは考えたのでした。

ペテロの間違いは、今はまだそのときではない、ということでした。

メシアの前に来ると預言されていたエリヤ。洗礼者ヨハネはまさに、エリヤ的働きをし、メシアの到来を告げました。
しかし、イスラエルはメシアを民族的に拒み、メシア的王国の到来は、はるかな将来に先延ばしになったのです。

秋の仮庵祭の前に、春の過越祭を迎えねばなりません。
メシアは栄光の王として来られる前に、受難の僕、犠牲の子羊として、人類の罪の贖いを成し遂げなければならないのです。

2. 栄光の主を迎えるために

初臨のメシアは、受難の僕として来られ、人類の罪を贖われました。

再臨のメシアは、王の王として来られます。
教会の完成(携挙)の後、イスラエルは、神の裁き・大艱難時代を味わいます。その最後に、彼らが民族的回心に至った時、主は再臨するのです。

栄光の主を迎えるための、私たち異邦人信者の使命とは何でしょうか?

①「地の果て(異邦人世界)」で、福音を伝え、互いにキリストの弟子として育みあっていくこと。

②メシアニック・ジューを物的に支援すること。この二つです。

先日のイスラエル旅行で教えられたのは、イスラエルに、300以上の集会と6万人のメシアニック・ジューが存在することでした。彼らが、神の計画の鍵です。

回復されたエルサレム教会のために祈り、支援していくことが、異邦人信者の私たち一人一人に求められています。

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