十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

聖徒伝21 ヤコブ④ 神との格闘の果てに 創世記32~33章 ヤボク川での格闘 

2020/08/27
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

【メッセージアウトラインPDF】21_ヤコブ4_ヤボクの格闘_200202

1. エサウとの再会に備えて 創32:1

ヤコブのハランからの帰路は、ベエル・シェバに向かう海側の道ではなく、ヨルダン川東部を通るルート。その先のセイルの山地には、エサウがいます。

当初からヤコブは、兄との再会と謝罪を念頭に置いていたのでしょうか。

兄エサウとの再会を前に、宿営を二つに分けるなど万全を期すヤコブは、不安の中、神の約束に訴え、祈ります。

580頭の家畜を9つの群れに分けて兄に贈ると、境界のヤボク川を家族に渡らせ、自分は一人、対岸に残りました。

 

2. ヤボク川での格闘 創32:23~33

不思議な人物が現れ、ヤコブと格闘します。受肉前の子なる神キリストです。

ヤコブに勝たせるための神の条件が、諦めないで格闘し続けることでした。

神は、ヤコブの勝利を認め、彼の関節を外して、格闘に終止符を打たれます。

 

なお祝福を求めてすがりつくヤコブは、“かかとをつかむ者”の名の通りです。

神は、ヤコブに“イスラエル(神は戦われる)”という名を与えました。

神と戦ってきたヤコブは、その信仰を認められ、神が共に戦ってくださる者、イスラエルとなったのです。

 

ヤコブは、神の栄光を仰ぎ見たこの地に、ペヌエル(神の御顔)と名付けました。

打たれた足を引きずるヤコブ。それは、命がけで戦い抜いた尊いしるしでした。

今や、約束の主ご自身が、ヤコブと共におられ、ヤコブと共に戦われるのです。

 

3. エサウとの再会 創33:1~19

翌日。400人の伴を連れて現れたエサウに、ヤコブは7回もひれ伏しながら、近づいていきました。当時の最敬礼です。

ここにも、「人事を尽くして天命を待つ」リアリスト・ヤコブの姿があります。

エサウは走り寄るとヤコブを抱き、二人は泣きました。あっけない再会。エサウには、わだかまりはなかったのです。

何より昨夜、神との格闘を終えたとき、すべては決していました。ヤコブは、神の働きを感じ取っていたことでしょう。

 

エサウの先導の申し出を断ったヤコブ。ハラン脱出以来の強行軍で、一行は疲れ果てていたでしょう。

何より、和解したとは言え、不信仰者のエサウと共に歩むわけにはいかないのです。

エサウは,自力で歩む道を選び、ヤコブは、神と共に歩む道を選びました。

約束の地に祭壇を築いたヤコブは、そこに、“エル・エロヘ・イスラエル(神、イスラエルの神)”と名付けたのでした。

 

4. 自分の使命に立ち向かおう

神と戦ったヤコブは、神が共に戦ってくださるイスラエルへ変えられました。

神が認められた、勝利をもたらす条件とは、試練の中で、ただ神を信頼し、ひたらすら、神に求め続けることでした。

神の目に正しい人だったヤコブ。兄を欺いたのも、神の計画を果たすためでした。ヤコブの過ちは、自分の力で神の計画を実現しようとしたことです。

ハランでの日々にも、ヤコブは、父と兄を忘れたことはなかったでしょう。

現実を直視し、最善を尽くしたなら、後は主に委ねましょう。主が共に働き、すべてを益としてくださいます。御顔を仰ぎつつ、歩んで行きましょう。

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