十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

2021年 変わりゆく世界で守り続けるべきこと

2021/01/13
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. ついにやってきた?! コロナ禍の大波

年の瀬の最後に飛び込んで来たのは、東京の感染者数が千人の大台を越えて1,300人に達したというニュースでした。

年明け6日には、全国の感染者が6000人を越えています。

日本でこれまで増加が食い止められていたことに、何か特別な要素があるのでは、という仮説も挙げられ、結構な支持も得ていたようです。

しかし、今の状況を見る限り、確かなことは何もなかったと言わざるえません。

突きつけられている事実は、ただ単に、人が接触すれば感染が広がる。それだけのことです。

空気の乾燥する冬には、飛乾が漂いやすくなり、感染が拡大するだろうことも当初から指摘されていました。

 

フランスにこんな謎かけがあると聞きました。

「ある池に毎日2倍に増える睡蓮があり、30日間で池を覆うことが見込まれる。

池の管理人は池の半分まで広がったら対策を打つことにした。池の半分を覆うのは何日目か」というものです。

答えは、29日目です。

毎日倍増する睡蓮は、最後の1日で池の50%から100%まで一気に増加するのです。これが指数関数的に増加するということです。

 

まだ大丈夫と様子見している内に、一気に増加してしまう。それが感染症の怖さです。

爆発的に増え始めたら、手の打ちようがありません。

後は、ロックダウンのような行動制限しかないわけですが、そもそも日本の緊急事態宣言には、強制力がありません。

果たして、沈静化に向かうのか。しばらく、予断を許さない状況が続きそうです。

 

2. 継続すべきこと 変えるべきこと

「喉元すぎれば熱さを忘れる」 人間の性質を言い当てたことわざだと痛感します。

日本国内における第二波が思ったよりも容易におさまったことで、もう大丈夫だという雰囲気が蔓延してしまいました。

GOTOなどの国の施策もそれを後押ししました。

「自粛警察」と言われるほどに、厳しく対策に当たっていたものが、今度は、赤信号みんなで渡れば怖くないとばかりに、緩みきってしまう。

日本の国民性と呼ばれるものが、良くも悪くも現れているのだと思います。

これが人間の現実です。

十勝でも本当に身近なところで感染者が出るようになりました。これからがむしろ、本番なのでしょう。

 

収束までに数年かかるだろうということは、最初から言われていたことです。

私たちの生活が、すっかり元に戻るようなこともないでしょう。

その上で、できることをしていくしかありません。変わるべきことは、躊躇せず変えていかなければなりません。

対応できた組織だけが生き残っていく。生き残りをかけた全世界的なサバイバルは、今年も継続していきます。

 

コロナ禍は、すでにあった状況を推し進めていると言われます。

倒産に至った企業の多くは、それ以前から斜陽になっていたことが指摘されています。

一方、コロナ禍で伸びた企業は、時代の変化に、危機感を持って先んじて取り組んでいたのです。

同じ業種でも、業績に天と地ほど差が開いたところがあります。変化に対応できているかどうかが、目に見える形で現れてきているのです。

 

3. 地域教会の現状とこれから

世界に先駆けて、歴史上例のない超高齢化社会に突入しつつある日本。その中でも、先立っているのが、日本の既存の地域教会です。

日本の教会は、コロナ禍による影響を最も大きく受けている共同体の一つと言えます。教会員の平均年齢が、70代というところも珍しくありません。

 

短期的な危機は、勢いで乗り越えることもできます。

一度目の緊急事態宣言の時には、むしろ、教会内で団結して乗り越えられたという声を聴きます。

しかし、これが1年2年と続けば、どうなるでしょうか。比較にならないダメージが蓄積されていきます。

ただでさえ地方で、閉堂する教会は増えてきています。都市部も含めてこの流れは加速していくものと思われます。

組織に頼った信仰生活は、ますます難しいものになっていくでしょう。

 

コロナ禍で、礼拝のライブ配信は、キリスト教界の中ですっかり定着しました。

礼拝も伝道も、ネット抜きでは考えられなくなっています。

鹿追教会でも、今できることは、これしかないと、ネットでの活動に労力と資金を注いできました。

この流れは強まっていく一方です。

 

教会の使命は、福音宣教です。

地域教会を教会として生かす最大の要因は、福音宣教の使命に生きているかどうか、ということです。

現状できる方法で、いかに福音を伝えていくか。聖書を解き明かして行くか。

福音宣教の変わらぬ使命を果たすために、変えられるものは、変えていく。

その判断は、御言葉の解き明かしからしかできません。今まで以上に、聖書に堅く立ち続けることが求められています。

 

ネット上で教会の活動が広がったことで、人々の福音との接点も増えました。クリスチャンの学びの機会も増えました。

小さな地域教会の範疇を越えて、「私は、普遍的教会の一部なんだ」という意識も、クリスチャンの間で強められているのを感じます。

多くの利点がもたらされる一方、ネット上で、どうしても埋めきれないのは、個々の交わりです。

 

信仰を同じくした家族が身近にいるなら幸いです。その関係性が何より大切だと痛感させられています。

一人ぼっちの信仰者の場合には、小さくとも継続した交わりを、どのように確保していくか。大きな課題です。

お膳立てしてくれる人はいません。

信仰の交わりを求め、築いていく、一人一人の積極的な働きかけが求められています。

コロナ禍でも継続していけるような、小さな個人的交わりをつくっていけるかどうかが、今後の信仰生活のカギになると思います。

 

つまるところ、信仰の基本は、主と私との個人的関係であり、そこがしっかりしないことには、どうしようもないことを確認させられています。

どんなに立派な会堂も、組織化された地域教会も、すばらしいメッセンジャーも、私個人の信仰を保証してはくれないのです。

神様以外の誰も頼れない。一人一人の信仰が、とことん問われていく。2021年、このことは、ますますくっきりと浮かび上がっていくのでしょう。

御言葉にかじりつき、必死に主にしがみついていく。年初早々から、飛び込んで来た様々なニュースに、これしかないと思い知らされています。

 

4. 変わらない真理に立ち続ける

WHOが、コロナ禍は想定される最悪ではないと警鐘をならしていました。

さらに強力な感染症が、いつ流行してもおかしくない現実があります。

アメリカの大統領選のゆくえを始め、世界がどうなっていくのか、分からないことばかりです。

 

聖書から予測される、これから起こるであろう終末の出来事として、北方からのイスラエル侵略、世界統一政府の誕生、世界の支配者となる反キリストの登場といった事が挙げられます。

この時代の結末は、7年間の大患難時代として、黙示録に詳しく記されています。

しかし、一方で、私たちが押さえて置くべきことは、“これらの終末の出来事に至る過程は分からない“、ということです。

コロナ禍を利して力を伸ばしたのは、グローバルに展開する超巨大IT企業や、共産主義の巨大国家であることが指摘されています。

まさに、世界政府の誕生につながるような状況が急速に進展しているわけですが、現状がそのまま終末のタイムスケジュールに直結していくかどうかは、分かりません。

 

主イエスが、オリーブ山で告げられた終末預言(マタイ24章)は、黙示録とも一致するものです。

世界規模の戦争、大地震、大迫害、偽預言者、福音宣教の世界的拡大、反キリストの到来、イスラエル滅亡の危機、天変地異、そしてキリストの再臨。

これらのことがすべて起こるまでは、この時代が終わることはない、と、主イエスは明確に述べられています。

マタイ福音書24:34~36

まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

その日、その時は、誰も知らないのです。

しかし、主の約束は変わりません。御言葉は生き続けます。

「分からない。ただ主だけがご存じである。」 それが、クリスチャンが立ち続けるべき土台です。

 

2021年も私たちの想定を超える様々な出来事が起きるでしょうが、いちいち振り回されないように心したいと思います。

聖書に記された、神の大きな視点で今を見ることを、忘れないでいたいものです。

携挙の瞬間まで、教会時代は続きます。教会時代の信者の使命は、“福音を宣べ伝えること“ これが第一です。

何が起ころうと起こるまいと、福音を宣言すること、聖書を解き明かすことを、淡々と続けていく者でありたいと願います。

 

十勝聖書フォーラムの開所式・鹿追教会の献堂式で中川先生に言われた言葉がずっと心に残っています。

「三浦先生から御言葉を取ったら何もありません」と。本当にそうだという実感は、歩むほどに強まっていくばかりです。

ただ御言葉を知りたい、伝えたい、ライブ配信も、ただそれだけで始めたものでした。

結果的に、コロナ禍で大いに用いられ、日々の必要もすべて満たされています。

 

今、私が、この瞬間を支えられているのは、すべて結果にすぎません。

主の憐れみと、主の約束に基づく恵みの結果です。

常に問われているのは、ただ主を信頼し続けること。それだけしかありません。

ごく単純な御言葉の真理に変わらず立ち続けていきましょう。それこそが、激変の時代の最大の力の源です。

「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。マタイ 6:33 」

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