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聖徒伝66 ヨシュア⑧23~24章 ヨシュアの遺言

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【メッセージアウトライン資料PDF➡】66_ヨシュア記⑧_23~24章_210110.pptx – バージョン 32

1.ヨシュアの遺言 23章

指導者となって30年、110歳となたヨシュアは、民を呼び寄せて告げました。

主が戦われ、敵を追い出し、土地を分配されました。

イスラエルの第一の責務は、律法を守り行うこと。ただ主にすがり、主に完全に信頼することです。

 

主に従う限り、神の民を拒むことのできる者などいません。

常に求められるのは、信仰の吟味であり、従順の確認です。

愛するとは、積極的な選択なのです。

 

一方で異邦の民と交われば、滅びが降りかかることが厳しく警告されました。

主の約束は、一つもたがわず実現されました。

それゆえ、民は、主への絶対的信頼を求められます。

主の裁きは正しく、言い逃れの余地はありません。

従順には祝福、背教には呪いが下る。それが律法の原則です。

神の報いは、イスラエルの上に正確に下るのです。

 

2.ヨシュアの死 24章

ヨシュアは、民族のルーツを確認します。アブラハムの父テラは偶像礼拝者でした。

罪の中から神が一方的に救い出された。それが民族の始まりです。

エジプトに下り奴隷となったイスラエルを、主が導き出されました。

エジプトは裁かれ、民は主を知ったのです。

荒野の40年の後、新世代のイスラエルは、約束の地に導き入れられました。

先立って戦われたのは主ご自身です。

イスラエルは、自分が建てたのではない町に住み、自分が植えたのではない作物を食べる恵みを与えられました。

 

ヨシュアは、イスラエルに選択を迫ります。

主を恐れ、主に仕えるか、それとも偶像の神々に仕えるか。

ヨシュアの決意は明確です。民がどうあろうと、「私と私の家は主に仕える」と、断固とした意思を表明しました。

そして、イスラエルの民は、信仰告白をしました。

主なくして私はなく、主以外に神はいない。と主の前に宣言したのです。

 

できますと言って、できないのが罪ある人の現実です。

イスラエルが将来神に背くことは、ヨシュアにも民にもすでに告げられていることでした。

 

小さな相続地の片隅に、ヨシュアの遺体は葬られました。

ヨシュアを知る長老たちが存命の間、イスラエルは主に仕え続けました。

限られた期間とは言え、人の罪を思えば、これは驚くべきことです。

ヨシュアの願いは、民の心に刻まれていたたのです。

 

3.確定した滅び 希望の根拠

人には変えられない、主が確定された将来があります。

一方で、常に問われるのは、私たち一人一人の信仰者の歩みです。

暗闇が深まる一方でも、主に従う者には、なお恵みと平安があり、日々の必要が満たされるのです。

 

イスラエルの背教を知りながら、「私と私の家族は主に仕える」とヨシュアは宣言しました。

信仰は、他の誰でもない、私自身から常に問われ始まります。

 

メシアについての主の約束は、一つも違わず実現しました。

ですから、将来の約束も完全に実現されると信頼できます。

私の罪のため、十字架で死んで復活されたキリストは、再び来られます。

主イエスの福音だけが救いの道。キリストの再臨だけが、確かな希望です。

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