十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

ヨガってクリスチャンがやってもいいの?

2022/03/16
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1.  元悪魔崇拝者、元ヨガ指導者の証し

ヨガって聖書的にどうなんですか、とある人に聞かれて思い出したのは、悪魔崇拝者だった人の救いの証しの動画です。

悪魔崇拝にどっぷり陥っていた暗闇から、主イエスを出会い、福音を信じて救われた。

神さまの救いの素晴らしさを讃える一方、気になったのは、その人が語っていた悪魔崇拝の詳細な体験談です。

“悪魔に見込まれて仕えていた。悪魔に命じられて呪った人は死んだ。毎晩、霊の世界で悪魔の支配権を広げるために派遣されたが、クリスチャンが集って熱心に祈っている町には手が出せなかった。”

彼は、このように、クリスチャンは悪魔の活動の実態を知るべきだと熱弁されていました。

 

同じサイトから、元ヨガ指導者だった人の動画も見ました。

その人は、ヨガのポーズをするだけでも危険だ、悪魔的な力が働くと強く訴えていました。

 

2. その体験は真実?

私がとても気になったのは、悪魔崇拝やヨガの危険性を指摘するのはよいとしても、かつての自分の体験や感覚を絶対化しすぎではないかということです。

悪魔崇拝やヨガの理論にも囚われすぎて、そこから抜け出せていないようにも感じました。

 

まず、悪魔崇拝やヨガの理論や、そこでの自分の体験が事実だと、どうして断言できるのでしょう?

主イエスいわく、悪魔は「偽りの父(ヨハネ8:44)」です。
本質的に嘘つきの悪魔が、そもそも人間に、手の内を明かして真実を教えたりするでしょうか?

主イエスによれば、生殺与奪の権利は、創造主なる神だけが持っています。
雀の一羽、髪の毛一本も神の許しなく落ちることはありません(ルカ12:7)。

すべてのことは、神の許可された範囲で起こっています。
それを自分の力でやったように見せかけるのが、まさに悪魔の仕業と言えるでしょう。

 

クリスチャンが「悪霊よ出て行け」と叫んで祈っていれば、悪魔は手が出せない、なんて話を聞いて、
やっぱりそうなんだ、と悪霊追い出しにますます力を入れる人も出てきそうです。

そんな聖書に根拠もないことを思い込んでくれて、意味もないことに力注いで、偽りの安心に浸ってくれるなら、悪魔にとってはむしろ、願ったり叶ったりではないでしょうか。

 

3. 偶像礼拝の本質を押さえよう

初期の教会で大きな問題となったことの一つが、偶像に献げられた肉をどう考えるか、ということでした。

ローマ支配下の異邦人の町々には、偶像の神殿があり、ささげ物がされており、偶像への供物とされた肉が市場に出回ったりもしていたからです。

 

使徒パウロが確認する大原則は、「偶像の神々など存在しない」ということです。

存在しない偶像に何の力もありませんから、偶像に献げられた肉を食べたとしても、「損にも得にもならない(Ⅰコリ8:8)」のです。

 

ヨガの元指導者の話から言うと、“何かをすることで霊的な力が働く”という考えそのものが悪魔的と言えます。

聖書が、信仰において常に問題にしているのは、本質です。神が求められているのは、人格的な交わりです。

儀式的な行いによって、神が働かれるなどということは、一切ありません。

律法で定められたささげものも、信仰が伴わなければ、神が喜ばれるものにはなりません(ホセア8:13)。

 

無意味なことに、たいそうな意味があるように見せかけるのがまさに、偶像礼拝の本質です。

ヨガのポーズをとるだけで、悪魔の世界に扉を開くことになる、という考え方そのものが、悪魔に実態以上の力を与えてしまっているのです。

ヨガのポーズと言っても無数にあります。日常の中でのふとした姿勢が、たまたまヨガのポーズと一緒だったら、その瞬間、悪魔とつながってしまうとでもいうのでしょうか?

悪魔にとって好都合に働きかねない間違った恐れこそ、退けるべきです。

 

4. 問われるのは精神性

偶像にも偶像に献げた肉にも何の意味もないと断言しているパウロですが、精神的、霊的な危険性は指摘しています。

偶像に献げた肉は、実は悪霊に献げられている。偶像に献げた肉に伴う儀式的な食事に参加することで、悪霊と交わるという事態は避けなければならない、ということです。

パウロは、偶像に献げた肉を食べても問題ないが、悪霊との交わりに導く宗教的儀式に参加することは咎めているのです。

 

ヨガの精神は、偶像礼拝であるヒンズー教の神概念と強く結びついています。

宇宙と一体化し自ら神となっていく、その手段が瞑想です。

心を空白にする瞑想は、聖書的には、非常に危険な行為だと言えます。

空白になった領域が唯一の神によって満たされなければ、悪霊が占拠してしまいかねないからです。(マタイ12:45)

そのヨガ教室で、瞑想へ促す行為が行われる場合には、クリスチャンは明確に避けるべきであると言えます。

 

5. ただのポーズなら問題なし

ヨガと同じポーズをとることがあるだけで、あくまで体操、筋トレとしてやっているなら問題ありません。

ヨガのポーズそのものに、何の意味もないからです。

体を鍛える上で、このポーズはこのように効果的である、という合理的な説明があれば、なおよいでしょう。

精神性という点で、一線が引かれていることが明確になります。

 

また、ヨガという言葉自体、体操の一ジャンルを表す一般的な名称として定着しています。

たとえば、マタニティ・ヨガのように、○○ヨガという名前がついているだけで、実体はただの体操というものも多いようです。

精神性、宗教性が切り離されている、ただのヨガ体操なら、霊的な悪影響を心配する必要もないでしょう。

 

ただ、クリスチャンが指導したり、教会堂で開催しているものに、ヨガという名称をわざわざ使う必要もないと思います。

たとえば、教会で、法事とか法要なんて言葉を使ったりはしませんよね?

そこに通っている人が、ヨガっていいものなんだと、無警戒に、それこそ、本家本元の霊的な、宗教的なヨガにはまってしまったら、大変です。

ヨガのポーズをとりながら、主の祈りを唱えればいいじゃないかとかいう主張にも、違和感があります。

そもそも、そんな形式的で機械的な祈りや礼拝を聖書は認めていません。

 

6. どうしても気になる人がいたら?

体操の中で、ヨガと同じポーズをとることがある、というだけのことなら、問題ありません。

それでもどうしても、気になってしまうという人がいたら、配慮が必要でしょう。

この部分の筋肉に負荷をかけるためのポーズである、という風に合理的な説明をしたらよいでしょう。

それでも気になるという人がいたら無理に参加は勧められませんし、参加しないという判断を他者がとやかく言うことでもありません。

 

パウロは、偶像に献げた肉について、もし、それを気にする人が食事の場にいたら、食べないようにと言ってます。

悪いことをしたと、その人の良心が咎められないためです(Ⅰコリ10:28)。

適用するなら、「それはヨガのポーズでしょう?」と気にする人がいれば、配慮が求められるということです。

 

前述の、元ヨガ指導者だった人の場合、ポーズをとるだけで、以前の霊的体験や精神と結びついてしまうということですから、そのような人は、むしろ徹底して、ヨガ的な要素を排除することが必要になると思います。

たとえば、聖書は酩酊しない適度な飲酒は認めていますが、アルコール依存症の人は、話が別です。
徹底してお酒を避けなければ、ちょっと口にしただけで、症状が悪化してしまうからです。

 

7. 体を通しても主の恵みを味わおう

この世は基本的に偶像礼拝を土台としています。

唯一の神を信じない人は、偶像礼拝者だというのが、聖書が明確に記していることです。

人間の感性や感覚を絶対化するというのも、自分自身を神とする偶像礼拝の一つの形です。

単なる体操をうたっていても、指導者の信仰や精神性となるとなかなか分からないのが厄介です。

 

そういう点で、体操教室の指導者がクリスチャンであり、明確に福音を信じている人なら安心です。

さらに、終末論、イスラエル論など、教理的な面でも一致していれば、何も言うことはありません。

 

聖書的には、体も心と同様重要です。福音を信じた一人一人が、聖霊の住まわれる神の宮とされています。

神の宮である体を整えることは、信仰面から見ても大切なことと言えます。

聖書の原則に照らし合わせて、基本的な確認ができたなら、あとは、安心して体を動かせばよいでしょう。

体を通しても主の恵みを味わいましょう。

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