十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

エゼキエル戦争が始まった? 終わりの時代を平安に歩むために

2022/05/06
 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 

1.  ウクライナ戦争の背後で

コロナ禍もおさまりきらない内に起きた、ウクライナへのロシアの侵略戦争。

まさか、と驚愕した自分こそ、歴史から学んでいないのだと痛感させられました。

隣国が始めた侵略戦争は、この地での人々での生活にも、暗い影を落とし始めています。

 

手段を問わず、己の野望を実現させるのが独裁者の常です。

まさかそこまでしないだろう、合理的ではないと言って、人の罪の不都合な真実から目を逸らすのが、まさに人間なのです。

支配欲に支配された者に、歯止めなどない。

私自身、カルト化した教会指導者に向き合わされる中で、痛感させられた筈でした。

しかし、懲りもせず、はかない願望を人に抱く。自分の愚かさが身に染みます。

 

妙に浮き足立ってしまうのも、人の心理の一面なのでしょうか。

「この戦争は、聖書預言の成就だ」と騒ぐ牧師を揶揄するアメリカ発の記事を読みました。

いよいよ世の終わりだ、と、同様に騒ぎ立てる人は、日本のクリスチャンにも少なくないようです。

 

2.  ニュースペーパー・セオロジー

何かが起こる度に、これは聖書の○○の成就だと騒ぐ人が出てきます。

皮肉をこめて、ニュースペーパー・セオロジー(新聞記事神学)」と呼ばれます。

頻繁に引っ張り出されるのは黙示録です。「ワクチンは反キリストの666のしるしだ」などと言うわけです。

チェルノブイリの原発事故の際には、これが黙示録の「にがよもぎ」で、世界の水が汚染されると言う人がいましたが、そんな話も盛り返していそうです。

 

困ったことだなと思うのは、聖書的な終末観に立つはずの人々が、「終末だ」と、目の前の状況で騒いでいる姿です。

ウクライナの状況を見て、エゼキエル戦争が始まった、と言う人がいますが、それは正しい認識でしょうか。

 

3.  エゼキエル戦争

「エゼキエル戦争」とは、世の終わりの裁き、大患難時代の前に起こるとされている戦争です。

“歴史上を類を見ない大軍勢が北方からイスラエルを侵略するが、神の介入によって撃退される。”

エゼキエル書の記述がその根拠とされています。

 

フルクテンバウム師の説明では、北方の大軍勢の主体がロシュ、すなわちロシアではないかと言われていました。

ロシアは、歴史的に過酷なユダヤ人迫害が繰り返されてきた地です。

現在の中東でも、イラン、シリアといった反イスラエルの国々を支援しています。

そこに南方のウクライナへの侵略と来たわけですから、確かにエゼキエル戦争を連想しないわけにはいきません。

 

4.  エゼキエル戦争は始まってる?

では、ウクライナ戦争はエゼキエル戦争なのか、というと、これは明確に違います。

侵略されたのはイスラエルではなく、ウクライナです。聖書預言とは無関係な地です。

そこで行われているのは、有史以来繰り返されてきた、古典的な侵略戦争です。

 

ロシアがこの戦争に勝利して、さらに領土の拡張を続けるなどという事態になれば、最終的にエゼキエル戦争につながる可能性も、確かに、まったくないとは言い切れないでしょう。

しかし、それは、あくまでも可能性がないとは言えない、ということであって、現状を見て、エゼキエル戦争だ、と騒ぐのは、どう見ても行き過ぎです。

第一、今、そんなことを期待するとなると、倫理的にどうかと思います。

聖書が求める終末への態度からも大きく隔っています。

 

5.  歴史に学ぼう

ついに終末が来たと大騒ぎになったのが、20世紀初頭の世界大戦でした。

第二次世界大戦時、日本のキリスト教界は、政府の指導下で、プロテスタントの様々な諸教派が、日本基督教団として一つにまとめられていました。

 

その中で、終末だ、キリストが再臨する、と強く訴えていたのが、ホーリネスの人々でした。

「メシアが来て神の国を建設する」という教えは、天皇を貶めるものだと当局に激しく迫害され、殉教者も出ました。

当時、日本基督教団は、ホーリネスの牧師を一方的に解職し、切り捨てています。

 

6.  心を騒がせないように

日本の戦中、信仰を貫いて弾圧を受けたキリスト者は、ホーリネスの人々ら、少数にとどまっています。

日本基督教団が、献金を募って戦闘機を政府に献品した記録が残っています。天皇を神とする皇国史観に呑み込まれ、迎合していったのが、日本のキリスト者の多数でした。

 

ホーリネスの人々は、再臨のメシアの希望があったからこそ、信仰を貫くことができたのだと思います。

初代教会の人々が、激しい迫害の中で、信仰を保ち、希望を失わなかった、その原動力もまた、主イエスが間もなく来られるという、終末の約束にありました。

世における信仰者の歩みにおいて、いかに終末論が大切か、教えられます。

 

しかし、戦後、ホーリネスでは、終末論そのものが、ほとんど語られなくなってしまいました。

なぜそうなってしまったのでしょうか。

 

ホーリネスの人々の記録で、終末論の理解において、行き過ぎがあったと書かれているものを読みました。

当時、熱狂的な支持を集めたホーリネスの指導者、中田重治師は、大勢が集う聖会で人々を強く煽り、主は再臨したとまで叫んだそうです。

当時の人々の大変な緊迫感が伝わってくるようです。

無理からぬ側面があったと思いますが、主イエスは再臨した、とまで言ってしまったのなら、確かにそれは行き過ぎです。

戦争が終わり、迫害は去った、しかし、主は来なかった。

あれは何だったのかと、失望や虚脱感を覚えた人々も多かったでしょう。

 

使徒の時代にも、再臨を強調する余りの行き過ぎがありました。

パウロは、主の日が来たと言って心を騒がせないように、と記しています(Ⅱテサ2章)。

主の日、大患難時代は、「不法の者」・反キリストの登場から始まるが、反キリストが世界の神と讃えられる、その時はまだ来ていないと言うのです。

 

黙示録に記された大患難時代の災厄は、人類の誰もが未経験の空前絶後の出来事です。

そんなことは、未だに何一つ起こってはいません。

未曾有の大虐殺を引き起こした二度の世界大戦すら、世の終わりではなかった。

その歴史的事実に目をとめるべきです。

7.  義と愛の神を恐れ 慕い求めよう

パウロが促すのは、主に堅く立ち、使徒に学んだ教えを守ることです。

「終末だ」と、仕事も辞めて騒ぐ人々に対しては、落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べるよう勧めています。

 

主イエスご自身も、終末預言を告げるに際して、まず落ち着きを求めています。

キリストを名乗る者が騒いでも、戦争や戦争のうわさを聞いても、「気をつけて、うろたえない」こと。

「そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。」と言われるのです。

生々しく世の終わりを生起させる出来事が起こっているとしても、本当に世の終わりかどうかは、すべてが起こった後でなくては分かりません。

それが終末預言の本質です。

 

国が国に、民族が民族に敵対する世界大戦の勃発、大地震の頻発…。20世紀以降、確かに世界は、主イエスの言われる「産みの苦しみの時代」に入ったと言えます。

しかし、本当の世の終わりがいつ来るかは、誰にも分かりません。

天の御使いも子も知らないと、主イエスは、生前に言われました。

 

大患難時代の前に、すべての信者が天に上げられるという「携挙」を私は信じています。

理由の一つは、この説が最も聖書的な終末論だと理解しているからです。

世の終わりの裁きも再臨も、世界の回復も、すべて主が一方的になされることです。

そこに、人の力が働く余地は全くありません。それが、聖書の終末論の基本です。

 

ですから、神のことは神に任せて、私たちは、与えられた福音宣教の使命に全精力を注げばよいのです。

何があろうとなかろうと、携挙の瞬間まで、福音を伝え続ける、それだけです。

 

主イエスは、私の罪のために十字架にかけられ、死を打ち破って復活された。

福音を信じた者は、世の終わりの災いから逃れられ、永遠の救いを得ます。

人にはできない。神にはできる。ただ主を信頼しましょう。

 

ざっくり黙示録・番外編 大患難時代の前に起きること 

 

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