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聖徒伝160 イザヤ書1~2章 主が語られる裁きと希望 

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。


【メッセージはこちら➡】 160_イザヤ1_イザヤ1~2章_主が語られる裁きと希望_221204

 

1. イスラエルの罪の宣告  1章

イザヤが告げた幻。見たまま、聞いたままを伝えるのが預言者の使命です。

イスラエルへの罪の宣告は、律法違反と甚だしい偶像礼拝に他なりません。

反抗に反抗を重ね、裁きは必至。回心を伴わない礼拝に意味はありません。

イスラエルは、諸国の略奪で荒れ廃れながらも、残れる信仰者ゆえに、破滅を免れました。

 

主がイスラエルの罪を裁き、世界を完全にきよめられる時は来ます。

主に従い、命を得るか、拒んで滅ぶか。二つに一つの選択が突きつけられます。

神ご自身が敵対し、神の民の不義は徹底して除かれます。偽指導者、偽預言者は見捨てられ、罪人は滅びます。

都エルサレムは完全にきよめられ、悔い改めた者はすべて罪を贖われます。

 

2. 主の日の裁きと希望  2章

千年王国では、神の都エルサレムが地理的にも霊的にも高い所となります。

王の王イエスの言葉を求め、世界中から民が上って来るのです。

平和の主イエスが世界を支配し、イスラエルの戦いの日々は終わる。地上の礼拝は永遠の御国に続いています。

偶像礼拝に堕したイスラエルは、神の裁きを経て民族的回心に至るのです。

 

大患難時代、人間の傲慢は徹底して打ち砕かれ、繁栄は完全に喪失します。

主お一人だけが高く上げられるのです。

再臨の主イエスは、誰の目にも明らかな、栄光の姿で戻って来られます。

すべての偶像は闇に葬られ、罪人は主の前に畏れひれ伏すしかありません。

被造物に過ぎない人間に頼るな、神を恐れよと告げられています。

 

3. 預言者の語る希望の本質とは?

信仰者が常に問われるのは、今、現在の罪の状態です。

神の裁きは、近い将来に、世の終わりに、必ず下ります。

しかし、残された信仰者には、回復の希望が与えられているのです。

預言者が告げる真実の希望は、終末の神の国にあります。

世の終わりのことだからこそ、すべての時代の人々の普遍的な希望となるのです。

 

再臨のメシアによって、最終的な回復がなされる時まで、世界に苦難は尽きません。

大患難未満の災厄なら、いつでも起こりえます。自分自身の人生に、苦難が途切れることはありません。

なぜ?ということが起きるのが、罪が人を支配する今の時代なのです。

 

預言者の時代も今も、神のタイムスケジュールは変わっていません。希望は、世の終わりの神の国にあります。

時代の闇はますます深まります。人間に頼らず、主を恐れ、主の警告を心に刻みましょう。

預言者の時代から変わらない主の約束に希望を置きましょう。

すべての信者は携挙され、世界は炎できよめあげられます。

切に待ち望むべきは、王の王、栄光の主イエス、この方だけです。

 

「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道を進もう」 イザヤ書2:3

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