聖徒伝165 イザヤ書15~17章 諸国民の裁き・メシアの希望
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1. モアブへの裁き 15章
アブラハムの甥ロトがルーツであるモアブは、イスラエルと対立していました。
偶像礼拝に浸りきったモアブに、神はアッシリアにより、裁きを下されます。
国中に悲鳴と嘆きが満ちるのです。
逃亡先の一つツォアルは、ソドム全滅の時に、ロトが逃げた町。神の裁きの過酷さを思い知らされます。
ここに挙げられた町々の多くは,所在不明です。徹底した破壊が伺えます。
2. モアブの破滅と希望 16章
モアブが命じられるのは、イスラエル神を礼拝すること。彼らの希望もまた、来たるべきメシアにあるのです。
世の終わり、荒らす者・反キリストは再臨のメシアに滅ぼされ、永遠の神の王国が建てられる。究極の希望です。
裁きは徹底され、モアブ最強の城塞も陶器のように砕かれ、豊かな葡萄園は荒廃し尽くします。その姿に主は涙を流されます。
エルサレムの滅びを嘆いた主イエスに重なります。
モアブが頼ってきた偶像の無意味さを、主の裁きが明らかにします。
北王国はすで滅んでおり、この預言の3年後、モアブもまた滅びました。
3. アラムと北王国の裁き 17章
続いて語られるのは、イスラエルの仇敵アラムへの裁きです。
一時は北王国と組んで南王国への侵略を企てたアラムも、アッシリアにより滅ぼされます。
強制移住政策により、多くは外国に捕らえ移され、残る者はまばらとなります。
世の終わりには、神による空前絶後の裁きの末に、人々は偶像礼拝の空虚さを思い知らされることとなります。
すべての民が問われるのは、唯一のメシアを信じて受け入れたかどうか。
嘆くだけで、福音を受け入れなかった者には、悲惨な末路が待っています。
不信仰者とすべての悪は、地上から一掃され、メシアが治める神の国に、彼らの取り分はかけらもありません。
4. 赦された民として日々を歩もう
福音を信じたかどうかが、すべての人の永遠の運命を決めます。
イザヤが敵のために預言をしたのは、主が彼らを愛し、泣いているからです。
モアブの町々の名を具体的に挙げて嘆かれた憐れみ深い主は、一人一人の名を挙げて嘆かれています。
主イエスは、敵のために祈るよう求められました。
なぜなら、神は、正しい者にも悪人にも等しく恵みを注がれているからです。
罪人への神の憐れみがあったからこそ、私も、恵みの内に導かれ、救われることができたのです。
救われる、ゆるされる。それは他者をゆるすこととイコールです。
救われ、永遠の命を得たから、私は他者をゆるすことができるのです。
愛に満ちた、公正な裁き主にすべてを委ねれば、それでいいのです。
ゆるせない心を抱えたままで、信仰者の道は歩めません。
最も強くゆるしの心を与えられるのは、主の使命に歩む時です。
子なる神が嘆かれているように、一人の救いを覚え、嘆き、祈りましょう。
それが、罪赦され、神の子とされた私の生きる道です。