現イスラエルは正当なユダヤ国家ではない? アシュケナージとセファラディー
不当なユダヤ人国家?
10・7の惨劇が忘れ去られたかのように、強まるイスラエルへの激しい非難。ジェノサイドだ、アパルトヘイトだと言う主張の倒錯ぶりに絶句します。
平然とあらゆる嘘を並べ立てるハマスこそ、イスラエル殲滅を旗印にするジェノサイドのテロ集団なのですが…。
歴史無視の錯誤した主張の中に、「現イスラエルは、正統なユダヤ人国家ではない」というものがあります。亜流の白人ユダヤ人が不当に占領したのだと。
一体何を根拠にしているのでしょうか。
アシュケナージとセファラディー
現在のユダヤ人のルーツは、アシュケナージとセファラディーの二つに大別されます。アシュケナージは欧州系、セファラディーは中東・アフリカ系と、ざっくり理解されているようです。
まず押さえておきたいのは、離散の歴史を通じてエルサレムにとどまり続けたユダヤ人がいたことです。彼らは、極貧生活の中でも伝統的な戒律を守って暮らしてきました。
聖地エルサレムには、セファラディーのユダヤ人がずっといたのです。
近代イスラエルの建国の中心になったのは、アシュケナージのユダヤ人でした。
19世紀後半。日本からのアメリカ移民も大勢いた世界的な移民の時代、おもに東欧から、ユダヤ人移民がイスラエルにやってきました。
彼らは当時イスラエルの領主だったオスマントルコの地主から、荒地や湿地を買い取り開拓したのです。
不毛の地が畑になり、新しい町も建設されました。物流が盛んになり、様々な産業が起こると、周辺地域のアラブ人も流入。百年ほどでこの地の人口は何倍もに膨れ上がっています。
開拓の指導者たちは、古来の耕作地は買わないよう促しており、当初は、ユダヤ人開拓者もアラブ人も共存していました。
状況が変わったのは、第一次世界大戦。中央同盟国側にいたオスマントルコが敗退し、この地は英国の委任統治領となりました。
何百年も続いたイスラム王国敗退の衝撃から、ジハードを掲げる過激な集団が台頭していきます。
イスラエルでもユダヤ人へのテロが頻発し、イスラムのエルサレム法官だったハッジ・アミン・アルフセイニに至っては、ヒットラーと共闘して、ユダヤ人殲滅部隊を組織したほどです。
建国の歴史的事実が示すこと
ホロコーストの惨劇は世界を震撼させました。
1948年、国連による分割決議を受け、イスラエルが建国。これに対し、周辺アラブ諸国が、イスラエル殲滅をスローガンに攻め込んできたのが第一中東戦争です。
勝利を確信していたアラブ指導者は、パレスチナのアラブ人に一時的な非難を促しました。しかし、民族存亡がかかったイスラエルは、必死に戦い、奇跡的に勝利。これが、パレスチナ難民の始まりです。
中東の各地には、アッシリア、バビロン捕囚以来、何千年も続いたユダヤ人の共同体がありましたが、激しく迫害され、追放され、パレスチナ難民に匹敵する数のユダヤ人が同じく、難民としてイスラエルに逃れてきました。
つまり、欧州出身のアシュケナージが主流だったイスラエルに、中東からセファラディーのユダヤ人が大量に入ってきたのです。イスラエルは、貧しさの中で、懸命に彼らを受け入れました。
現イスラエル国家は、アシュケナージとセファラディーの両者のユダヤ人によって生まれた、まさしく正統な、ユダヤ人国家であると言えるでしょう。
ユダヤ人であり続けたユダヤ人
アシュケナージのユダヤ人のルーツは、南仏にあった共同体。一方のセファラディーは、スペインが発祥です。どちらも欧州の隣り合った地域です。
ユダヤ人に寛容だったスペインでユダヤ文化が花開いた時期がありました。やがて迫害がおき、彼らは、中東、北アフリカへと逃れていきます。これがセファラディーのルーツと言われます。
歴史を遡れば、ユダヤ人の離散の開始は、紀元前722年のアッシリア捕囚と、続くBC586年のバビロン捕囚です。以来、中東、欧州、アフリカの各地に、ユダヤ人共同体が存続してきました。
ある地で迫害が起こると、暮らしやすい地を求めて逃れ、ネットワークの中で常に流動しながら生き抜いて生きたのがユダヤ人です。
アシュケナージとセファラディーという区別も、ユダヤ人の歴史から一面を切り取ったものに過ぎません。
歴史的な事実は、欧州でも中東でも、ユダヤ人はユダヤ人と見なされてきたということです。
イスラエルが経験してきた大きな変化
建国後も、イスラエルには、世界各地の迫害地から多くのユダヤ人が帰還してきました。
一方、中東やアフリカのイスラム圏にあった伝統的なユダヤ人共同体の多くは、壊滅状態です。文化的抹殺(エスニサイド)の結果です。
現在のイスラエルは、セファラディーのユダヤ人が多数になっています。近年、イスラエルが保守的になり、民族主義が強まったと言われる背景には、中東やアフリカ出身のセファラディーのユダヤ人の増加があるのです。
建国の立役者となったシオニストの主流は、アシュケナージであり、その中には社会主義者も多くいました。
長らく政権を握ったのは、労働党です。リベラルな価値観は、今もイスラエルの一方に根付いており、テルアビブでは、世界有数のLGBTQパレードが開催されるほどです。
完全比例代表制で選出される国会では、第一党が過半数を占めたことがありません。連立は必須で、少数政党が国政の行方を左右することも度々です。極左から極右、アラブ政党まで、多様な価値観が混在している国がイスラエルなのです。
司法制度改革を巡って、国を二分する対立が続いていましたが、背景には、イスラエルの複雑な状況があるのです。
真実のメシアへの立ち返りを祈りつつ
10・7のテロの犠牲者の多くは、ガザとの平和共存を唱えるリベラルな人々でした。認識を激しく変えさせられたのは、リベラルな立場のユダヤ人です。
テロの脅威が迫っていると警鐘を鳴らす人は、過激な保守派のように言われていたのですが、彼らが正しかったことが、明らかにされてしまいました。
イスラエル国民の多くは今、アシュケナージもセファラディも、ユダヤ系もアラブ系も、ハマスへの勝利なくして国の未来はないと認識しています。
厳しい現実の中、イスラエルの神に立ち返る人々が増えていると聞きます。何より、イスラエルの真実のメシアに立ち返る人が現れていきますように。