十勝の鹿追町 聖書と人生のいろいろ

動画&まとめ ⑱マルコ12:28~34 生きている者の神 ~子羊の吟味・二つの掟・最後の論争②~

 
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2016年9月に、十勝鹿追町オープンした小さな教会です。,Voluntarily(自発的に),Open(開放的に),Logically(論理的に),聖書を学んでいます。史上類をみない大ベストセラー、聖書について、一緒に学んでみませんか? 執筆者は、牧師:三浦亮平です。

1. サドカイ人との問答  マルコ12:18~27

貴族階級のサドカイ人が質問します。彼らは、信仰的には、復活も死後の命も裁きも否定していた世俗派でした。

申命記25章では、子がなく夫が死んだ妻は、その弟に嫁ぐと定められています。7人兄弟を夫にした妻は、復活後、誰の妻になるのかと言うのです。

彼らの問題は、単なる不信仰でした。

復活した信者は、男女の結婚も含め、地上のあらゆる関係を超えた深いつながりを互いに持つようになります。

イエスは、モーセ5書の権威しか認めない彼らにあわせて、モーセを召した神の名「アブラハム、イサク、ヤコブの神」を告げます。

アブラハム、イサク、ヤコブへの約束は、完全に成就します。神の計画が成就するために、彼らの復活は前提なのです。

2. 二つの掟  マルコ12:28~34

サドカイ人の問いは、復活を信じるパリサイ人を長年悩ませていたものでした。

見事な答えに感嘆した一人の律法学者が、イエスに、最も大切な律法をたずねます。

イエスが一番大切だと言われたのは、シェマと呼ばれる、ユダヤ教の根幹となる聖句でした。

「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の神である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くし、あなたの神である主を愛せよ」

この申命記6:4~5の聖句が示すのは、全身全霊で主を愛せよ、ということです。

二つ目が「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ(レビ記19:18)」でした。

二つの掟とも、律法の中心とされる十戒にはありませんが、613の律法を現すのにふさわしいものでした。

手放しで主イエスを賞賛した律法学者に、イエスは、「あなたは神の国から遠くない」と告げられました。

主が認められる賢さとは、主の知恵を受け入れる謙遜な知性にこそ備わったものです。

もはや誰もイエスに質問する者はなく、最後の論争は、イエスの圧勝で幕を閉じました。

3. 赦しの根拠  マルコ11:24~26

「隣人」とは誰か。隣人愛とは何か。

レビ記19章の文脈で読むと、第一には、イスラエルの同胞への愛であり、神に選ばれ、神を愛する、残れる人々への愛だと言えます。

愛とは、選びであり決断です。

「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない(マタ10:37)」と主は言われました。

これは、主を一番に愛せよ、という優先的な選びのことです。

男女の結婚は、神と人とのあるべき関係のひな型ですが、夫婦の愛は、結婚の誓いにあるように、まさに、この人を特別に愛します、という選びです。

主イエスを愛する者は、主の言葉に従います(ヨハ14:24)。主を愛さない者は、主に呪われます(Ⅰコリ16:22)。

主にある兄弟姉妹を愛せることは、救われた確かな証しです。

主が共におられること、兄弟姉妹と共にいることを喜びましょう。

主を喜び、主にある兄弟姉妹を喜び、主の愛に満たされ、主の愛をもって世に遣わされましょう。

「兄弟たち。世があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。

 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。

 愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。」

                                 ヨハネの手紙Ⅰ 3:13~15

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