聖徒伝51 申命記⑤ 待ち望むべきはメシア 王の規定・モーセのような預言者 申命記17~21章
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目次
1. 死刑・裁き・王の規定 17章
部族の指導者は、神の正義の執行者。律法の諸規定は神の正義に基づきます。
礼拝には純粋性を保つことが求められ、刑罰には公正が必須。証人には、事件への潔癖と責任が要求されました。
王についての規定は、数百年後の王政を見越したものです。
後にソロモンが陥った、王が決して犯してはならない、罪への警告までもが記されています。
2. モーセのような預言者 18章
主ご自身がゆずりだったレビ人の取り分が明確に定められました。
列挙された忌むべき慣わしは、カナンが聖絶される理由です。
イスラエルが偶像礼拝に陥るならば、やはり厳しい裁きは免れません。
神の栄光の権限を前に、罪を自覚し、畏れを抱いたイスラエルに、真実の仲介者なる一人の預言者の出現が預言されました。
この方こそ、メシアです。
メシアを拒むことこそ最も重い罪です。
一方、偽預言者は万死に値します。偽りは実によって明確に判別されます。
究極の偽預言者が、世の終わりに現れる、反キリスト。悪魔の子です。
3. 逃れの町 証人と裁き 19章
建設済みだったヨルダン川東岸の三つの逃れの町に加えて、西岸にも三つを建設することが確認されています。
流された血は、血で贖われるのが律法の原則です。
ですから、家の責任者は、殺された家族の復讐をする義務を負っていました。
逃れの町は、過失で人を殺してしまった者を保護すると共に、復讐の重荷を担う者を解放する側面があったのだと教えられます。
逃れの町で贖われる罪は、過失致死に限定されていましたが、すべての罪を贖われるのが、来るべきメシアです。
逃れの町にもまた、救い主メシアの影が現れています。
4. 戦いの備え 20章
祭司が「恐れるな」とイスラエルを鼓舞する根拠は、主が共におられるという約束です。
戦いには、免除もありました。
新築直後、ぶどう畑の初収穫前、婚約中といった免除の条件が挙げられています。
人道的配慮と、戦意喪失者の排除以上に、強調される神の理由があります。
それは、約束の地の恵みを味わうためだ、ということです。
古代の戦争は極めて残虐な者でした。
この律法において、降伏の勧告、降伏した者、弱者の保護が告げられているのは、画期的なことです。
5. 家族法 21章
犯人不明の殺人に対する贖いの規定は、民に、咎のない者の地を流す罪を教えました。
そのイスラエルが、罪なきイエスの血を流したのです。
捕虜を妻とする場合に求められた配慮が記されています。
夫に愛されない妻の権利の保護せよという命令は、神の憐れみを教え、神が定めた長子権の重要さを告げています。
また、両親への反抗者への裁きは、主を恐れることが律法の基盤だという基本を、民に刻み込んだことでしょう。
木にかけられ呪われた死体を、その日中に埋葬せよとの命令は、まさに、メシアの葬りにおいて成就されました。
6. 真の預言者であり、王。 メシアを待ち望む信仰に生きる
真の預言者、王の王。それが主イエスです。律法のもたらす呪いは破られ、私たちは、福音の祝福の内に招かれています。
主はすべての人が恵みを受取り、味わいつくすよう願われています。
主の御言葉を恵みとして味わい、再臨の主イエスを待ち望みつつ、今この時を歩んでいきましょう。